Thu
Jul 10
2008
「同病相哀れむ」のではないけれど
先日、開通したばかりの副都心線から千代田線に乗り換えるべく
パートナーと歩いていると、エレベータのところで彼が
「ちょっと待ってて」と言って数歩離れ、
通りがかりの誰かに「エレベータはこちらですよ」と声をかけました。
声をかけた相手は、白杖を持った人でした。
その人を誘導してきた彼は「一緒に行きますか?
もう一人白杖を持ってる人もいるので、連結してください」と声をかけました。
私もすぐそれと悟ったので、「良かったらつかまってください」と、
件の人物に声をかけました。
「あ、どうも」と答えたその人は、でも私にはつかまることなく
エレベータに乗り降りしました。「どちらへ?」と聞くと
「代々木上原です」と答えます。私たちも同じほうだと伝えましたが、
「後は大丈夫です」と言いながらふらふらと去っていきます。
何か、「旅の道連れ」のような出会いで、これから乗る千代田線、
小田急線での楽しいおしゃべりの予感を持っていた私は
拍子抜けしてしまったのですが、それはかってな思い過ごしだし、
一人で歩きたいこともあるだろうしと、自分自身を納得させました。
ところが、その人は、少し見当違いの方向に歩きかけつつ、
「ええと、トイレはこっちのほうに?」などと口走っています。
私のパートナーが、「あ、良かったらお連れしますよ」と言うと、
「いや、千代田線に」と言う。私たちはまたもや狐につままれたような気分で、
ビュンビュン杖を振りつつ千代田線への通路を歩いていくその人を見ていました。
「視覚障害者だからと言って、必ずしも同じ視覚障害の人と交わりたいとは
限らない」と、私も日ごろそう思わなくもありません。
でも、私の場合はちょっと違います。「同じ視覚障害の人と」ではなく
「同じ視覚障害の人だけと」と言った方が適切なようです。
だから、いわゆる「視覚障害者協会」的な団体には所属していません。
かと言って、まったく視覚障害者がいない団体にだけ所属したいとも思いません。
それは、「見える人も見えない人も混在して、共に活動してこその社会」だと
思っているからです。
私が今まで関わってきたグループは、全てそういったグループです。
まずは、盲学校を卒業した直後から関わった点訳サークル「点字あゆみの会」。
ここでは、点字図書を作るに際して、視覚障害会員による触読校正を基本としていて、
運営も全て視覚障害者と晴眼者が混在して行なっていました。
最初にそんな刷り込みがあったからかもしれませんが、
それ以降関わってきたグループは、どれもこれもそういう感じでした。
朗読グループ「ねこのめ」は、会員内で「聞く人、読む人」という区別は
あったけれど、それは「視覚障害者、晴眼者」とイコールではなく、
視覚障害者が点字で書かれた物を読んで、
それを見える人が聞くというパターンもありました。
また、やっぱり運営も一緒にやってました。
トークパフォーマンスグループ「こうばこの会」も、
「視覚障害者が語る人で、晴眼者が裏で支える」的なものではなく、
舞台に立つほうも、裏方も、それぞれ、見える人、見えない人が活躍しているのです。
現在所属している、「演劇結社ばっかりばっかり」、
「バリアフリー映画鑑賞推進団体CityLights」、
私が代表を務める「バリアフリー読書さーくるYAクラブ」、
いずれも、晴・盲混在して活動・活躍しています。
それでもやっぱり、人という物は、自分の趣味・特技だけでなく、
境遇の共通点にもふと親近感を覚えたりするのではないでしょうか。
その境遇の共通点だけで傷をなめあっていては、
今一つ発展性に欠けると思うものの、親しみを感じあうことはあると思うのです。
ふと思い立って、mixiの「友人を探す」で「視覚障害」のキーワードだけで
検索してみたら、601人ヒットしました。
その中には、視覚障害当事者だけでなく、
点訳・音訳・ガイドヘルプに関わっている人も多いでしょうけれど、
なんだかみんなと知り合いたくなってしまうような嬉しさを、
ちょっとだけ感じてしまいました。
視覚障害者の中には、「同じ視覚障害者同士だからこそ分かり合えるのだ」と
信じ切ている人、「主に晴眼者だけと出会いたい」と思っている人など、
極端な人がいますが、もっともっとナチュラルに、
いろんな人を受け入れていける方が、きっと素敵だと思います。
明治神宮前駅で遭遇した人がどんな考えの人だったのかは、
もう知ることはできないけれど、晴・盲、他の障害の人とでも、
出会いのチャンスを大事にしていけると、
楽しく生きられるんじゃないかなと、余計なことを考えてしまいました。
by amedia at 11:52