みなさんに感動してもらえてうれしいです」
この言葉は、先日行なわれた「第13回バン・クライバーン国際ピアノコンクール」の優勝者・全盲のピアニスト辻井伸行さんが、優勝の感想を聞かれたときに口にした言葉の一説です。審査員をはじめ、観客となった人々に感動してもらえたことを、本当に素直に喜んで発せられたこの一言の純粋さに、彼の足元にも及ばぬながらも表現者の一人として感動しました。
もちろん、その言葉だけでなく、各情報番組で少しだけ流される演奏も、技術力といい、表現力といい、十二分に感動できる物でした。
さて、今回の彼の素晴らしい功績を讃えるマスコミのほとんどが、日本、いやアジアで初の優勝者であるということに加えて、必ず「全盲」であることを強調しています。それに対して、多くの視覚障害者が反発を禁じえない様子で、「なぜ、全盲だということをことさら強調するのか」などとマスコミを批判する声が上がっています。
でも、果たしてマスコミのこの報道の仕方は間違っていると言い切れるのでしょうか。私はそうは思いません。マスコミの立場としては、これは大きな話題となる要素なのです。
例えば、日本人初、アジア初である優勝者が、超絶美人だったとしたら、おそらくマスコミは「超美人ピアニスト」という冠をつけて報道するのではないでしょうか。
それに対して「美人なことは、ピアノの実力とは無関係なのに」という批判は、そうは起こらないと思うのです。
確かにこの例の場合、美人であることはピアノの実力とはまったく関係はありません。それでも批判はほとんど起こらない。
むしろ、今回の辻井さんのように、全盲であることなら、ピアノの実力を考える上で、少しは関係があることになります。それなのに批判されてしまうのはちょっと残念です。楽譜を読めないハンディはもちろんのこと、単純にいうと、離れた鍵盤へポーンと飛んで着地する奏法など、その感覚を掴むために、普通に目でコントロールするところから始まる人たちの何倍もの熟練を要するのです。単に「才能が豊か」というだけではどうにもならない、努力と工夫の積み重ねがあるのです。もちろん、この辺りの技術的ハンディを補って演奏活動をしている視覚障害者は、辻井さん以外にも大勢いますが、その上に素晴らしい感性と表現力をどっさりトッピングした状態の彼が「全盲である」ということで注目されることにより、他の多くの視覚障害ピアニストの存在にもスポットが当てられていくかもしれないのです。
そして、そうやって多くの視覚障害ピアニストが世間に認められるようになっていけば、やがて「全盲であること」は特筆するような事柄ではなくなっていくかもしれません。
でも、残念ながら、今はまだそうなっていないのですから、「大いに知ってもらう時期」だと捕らえて、この報道に甘んじていても、何等問題はないと私は思うのです。こんなこと、ピアノをかじっていたのに自主挫折してしまった私が言っても説得力はないかもしれませんが、私の知っている中にも多くの素晴らしい全盲ピアニストがいて、あちらこちらでコンサートを開いていますし、指導者としての分野でも活躍し
ておられます。こういう皆さんに、もっともっとスポットライトが当たったり、お弟子さんが増えたりしていったら、本当に素敵だと思いませんか?
これ、実現できないことではないと思います。
なぜなら、既に日本では、お琴や三味線、琵琶などの和楽器の分野で、何百年という年月の中、視覚障害者の演奏家や作曲家が活躍してきたおかげで、その分野では全盲であることが特筆されることが少なくなっているからです。お正月によく耳にする「春の海」を、「この作曲家の宮城道雄さんって、全盲だったのに凄いねぇ」なんていう言い方をする人はあまりいないようです。
ということで、マスコミの「全盲強調式報道」、私は大いに歓迎するとまでは言わないものの、あまり批判めいたことを言いたくないと思ったので、今回一言書いてみました。
最後になりましたが、辻井さん、本当におめでとうございました!これからワールドツアーも予定されているようですが、体に気をつけて、多くの人々に感動を与えてきてください。
そうそう、私もCDを購入しなければ。皆さんも、こちらのサイトからお求めになってはいかがでしょうか。
http://tinyurl.com/mf3llg
「今日の風、なに色?―全盲で生まれたわが子が「天才少年ピアニスト」と
呼ばれるまで 」
http://tinyurl.com/n2am63
ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン