五十肩とアトピー-痛みもかゆみも…
この夏くらいに、アメディアのメーリングリストで「右の上腕が、後ろに回したり
遠くに延ばしたりすると痛くてたまらない」と相談したところ、それは五十肩ではな
いかと多くの人にアドバイスをいただきました。
しかし、忙しさに取り紛れて病院に行かないでいるうちに、左の腕も痛くなってき
ました。これはいよいよ行かなくてはと、9月中ごろにようやく重い腰を上げ、整形
外科を受診しました。
結果、優しそうなおじいちゃん先生が発した言葉は、「四十肩ですね」の一言でし
た。なーんだ、五十じゃなくて四十なら、ちょっと若いじゃん、と思って喜んで帰っ
てきてネットで調べてみたら、「五十肩は1960年代くらいまでは四十肩と呼ばれ
ていた」と書かれていました。ガーン!!やっぱり五十肩だったわけですね。
結局両肩に注射を打たれ、塗り薬をもらってきたのですが、やっぱりある一定の動
きをすると、ブワーッと痛みが走り、筋肉が悲鳴を上げ、ついでに私も悲鳴を上げる
状態が続いています。これはもう、とほほとしか言いようがありません。
一方、私の相方で演劇結社ばっかりばっかりの主宰である鈴木大輔は、小さい頃か
ら抱えている持病のアトピー性皮膚炎が、この時期になって悪化してきて、大変なか
ゆみにバリボリ状態なのです。夜も熟睡できず、集中力を持続させることも困難な状
況が続いています。
塗り薬を強くすると、一時的に肌の状態が良くなりかゆみが軽減したりするのです
が、皮膚が薄くなり、ちょっとかいただけでも出血してしまいます。飲み薬の強いの
を飲むと、24時間ほど激しい眠気に捕らわれてしまいます。真夜中、いびきをかい
て完全に眠った状態のまま、激しくボリボリしている姿を見ていると、その計り知れ
ないかゆみがいかばかりの物なのかと、せつなくなってくるほどです。
私たちのような普通の肌の者は、よく小さい頃から、「かゆいときにはかくと余計
にかゆみが強くなるからかかないようにしなさい」と言われたものですが、その理屈
は分かっていても、大の大人が人前でもかかずにはいられなくなる激しいかゆみとは
どんな物なのか、計り知れない物です。
しかも、芝居のときには、それをぐっと堪えて長時間演じているのですから、これ
はもう尊敬せざるを得ません。
腕の痛みに耐えている私、そして全身のかゆみと必死で折り合いをつけている彼。
お互いのつらさを、自分の経験による尺度では想像することはできないけれど、その
範囲を超えているのだと考えることで互いを思いやることができているのだと思いま
す。
こんな風に、自分の経験してきたことの範囲で想像できないことは、人間同士いろ
いろあるものです。
視力の強弱、聴力の強弱、体力の強弱、瞬発力、持続力、走る速度…そしてそんな
力の強弱があるなら、忍耐力、努力など、全てに人それぞれの持つ力というのがある
し、尺度もあります。
じつは最近、アメディアのメーリングリストなどで、歩行能力に関する話題が盛り
上がっているようです。
その中で、ガイドヘルパー制度の否定論が見受けられ、少し悲しく思ったので、今
回違う角度から「他人の痛みや持ちうる力の差と、それを思いやること」について書
いてみたくなったのでした。
私は、たまたま自由を求める気持ちが強かったので、恐怖心に打ち勝つ力や自分の
姿を人に見られることや見知らぬ人に声をかけることに関する羞恥心やちょっとした
億劫さに打ち勝つ力を強化できて、一人歩きができるようになったわけです。でも、
その自由を求める気持ちが弱い人、またはその気持ちが強くなるようなきっかけに恵
まれなかった人にとっては、恐怖心と羞恥心の壁は本当に大きな物だと思います。
また、一度は歩行能力を身につけた人でも、年齢や体力や判断力などの衰えにより
、人と一緒でないと歩けなくなってしまう人もいるでしょう。それがたまたま頼れる
友人の少ない人だったなら、やはりその人にとってはガイドヘルパーの存在は必要な
物なのだと思います。
他人の痛みやかゆみは分からなくても、分からないなら分からないなりに、その向
こうにある程の物なのだと思いやれる気持ちを持ちたいものです。もしかすると、「
思いやり力」にも強弱は存在して、それはしかたのないことなのかも知れないけれど
。
※ アメディアは、美月の所属する劇団『演劇結社ばっかりばっかり』第五回公演
『さなぎの時代』に協賛しています。
この芝居は、美月が別名義の「杉森寿美」として、10年前に本社発行の雑誌に連
載していた小説を舞台化する物です。
同劇団では、チケットの予約を行なっています。
詳しくは、
http://www.bakkaribakkari.net/
をご参照下さい。