献杯、そして合掌
今年の初夏は、悲しい別れの連続となりました。
まず、5月2日、日本の個性派ロックシンガー・忌野清志郎(いまわの きよしろう)さんが、癌性リンパ管症でこの世を去られました。享年58歳。
80年代前半高校生だった私は、深夜のラジオ放送から流れてきた彼の歌声に度肝を抜かれました。その曲は「雨あがりの夜空に」という、ちょっと危なくちょっと甘く悲しい歌でした。そしてどことなく優しく刺激的な詩と歌声に「何だろう、この人は!?」と思っていると、「ぼくの好きな先生」「パパの歌」などの暖かな曲もあるではありませんか!また、「デイドリーム・ビリーバー」や「イマジン」などの海外
アーティストの歌もとっても楽しく愛情深い味付けにしたりして、常に魅力を発し続けてきたミュージシャンでした。
次に、5月26日、私が愛して止まぬ小説家栗本薫さんが、膵臓癌のため逝かれました。56歳でした。
彼女の書かれていた「グインサーガ」は、一人の小説家が自力のみで書いた作品としては、世界最長と言われる物で、実に30年という年月をかけて126巻まで刊行された時点で完結を見ることなく逝かれたのでした。
詳しくは、アメディア発行の姉妹メルマガ『アメディアレポート』の6月9日号のトピック欄をご参照ください。
とにかく、多彩な表現者で、心から尊敬できる方でした。
そして、6月13日、私の相方も含めて多くのプロレスファンを魅了してきた三沢光晴さんが、広島での試合中、不慮の事故で帰らぬ人となってしまいました。享年46歳、あと5日生きていれば、今日6月18日で47歳になるところでした。
プロレス音痴の私ですが、相方が彼の入場テーマの「スパルタンX」を携帯の着メロにしている程の惚れ込み様であることは知っていたので、もらい泣きしていました。
彼らをそこまで魅了してきた三沢さんという人がどんな方だったのか、私なりに気になってwikiで調べてみると、試合の様子だけではない、大きな魅力のある人なのだということが伝わってきました。
義理・人情に厚く、常に真剣な人、まっすぐな人、それでいてやたらと人間臭さのある人物像が浮かび上がってきました。
困っている人がいれば、仲間のみならず、恩讐を超えて手を差し伸べた人だったといいます。
「プロレスリングノア」という団体の代表取締役でしたが、その団体の枠を超えて、プロレス界全体を盛り上げようとしておられたし、ノアに所属していたプロレスラーが他の格闘技に転向する際も温かく支えになってあげていたようです。
エネルギーと技術と多くの人望を抱えたまま、一瞬にして旅立たれてしまったのです。
こうして、悲しい別れが続く中、私の極身近なところでも別れがありました。
実は、この欄でもときどき書かせていただいていた宮城の祖母が、6月3日に、病院で叔父、つまり祖母の息子家族に見守られながら静かに息を引き取ったのです。享年満101歳の大往生でした。
なんと、祖母の死への旅支度は、生前の祖母が数年前に自ら縫っていたという白装束でした。そのことを語ってくれたのは、ここ数十年姑である私の祖母に優しく尽くしてきてくれた義理の叔母でしたが、肩の荷を降ろしてほっとしたであろう彼女こそが、出棺の際、誰よりも号泣していたのでした。それを見ているうちに、その胸中を思ったら、それまで以上に胸が詰まり、祖母と叔母双方への想いが目から溢れて止まらなくなりました。
片や四十・五十の働き盛りで多くの人に惜しまれながら旅立った人たち、そして片や天寿をまっとうし家族・親類に温かく見送られて旅立った祖母…。人の運命とは、なんと不思議な物なのかと考えさせられた今年の初夏でした。
ああ、プロレス観戦も大好きだったちょっとおてんばなおばあちゃん、もしかすると今頃、「三沢さん、あんだもこっちさ来たのすか?面白い試合見せてけらいんね。
」なんて話しかけているのかもしれません。
そんなことを思いながら、改めて亡くなられた皆さんのご冥福を祈って献杯したいと思います。…合掌。
ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン