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春うらら
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福祉コラムを読んで…

『もう少し互いに努力しなければ』


 共用品としての「点字表記」については、以前より関心を持ち普段の買い物の折にも、注意して商品を見るようにしています。

 きっかけは、点字表記のある豆腐容器に、偶然にも店頭で触れやはり驚いた経験があったからです。 その容器にの底に点字で『きぬ』と表記してありました。 もちろん横に並んだ豆腐の容器の底にも『もめん』と表記してありました。

 私の視力は、片眼が0、もう片眼も光覚が残る程度で、やっと眼前の人影が視認できるかどうか…と言うほどの視力障害者です。
そんな私ですが、普段の買い物は、近所のスーパーマーケットで一人で済ませることが多いです。 その折に、商品に点字表記があるものが、どれくらいあるのか調べてみたことがあります。

 やはりユニバーサルデザインなどが普及してきた影響でしょうか。
『点字表記』のあるものは、少しずつ増えているように思われます。

 アルミホイル、救急絆創膏、ソース、ケチャップ…などなど。
しかし実際に買い物をしていて、このような点字表記のある商品に出会うことは、大変うれしいのですが… まだ問題があるのです。

 たとえば… カゴメのケチャップには、容器に『ケチャップ』と
点字が表記されており、それは外袋の上から触れても判読できとても便利です。 ですが、同じように容器に点字表記があるアオハタジャムの場合、確かにジャムと他の瓶詰め商品との区別はできるものの、それは慣れた店内であれば、置いてある棚などの場所からも判断できることでしょう。 しかしジャムの場合は同じメーカーの同じ瓶に入ったジャムは、何種類もあり、それがジャムと知れることよりも、それが「イチゴジャム」なのか?
それとも「オレンジ・ママレード」なのかと言うことのほうが実際に、その商品を買う場合には重要になるのではないでしょうか。

 ケチャップには種類はありません。 でも、豆腐やジャム。
またはソースやドレッシングのような、同じメーカーで、同じ容器を使用し、そして中身の種類が異なるものに、同じ点字表記は配慮と言えるのでしょうか?

 点字表記ではありませんが、キッコーマンの醤油のボトルは「濃口」と「薄口」では、ボトル表面の凹凸のデザインが違いそれと知れれば、触っただけで判別できます。 これは同じような主旨でデザインされたと思われるシャンプーなどにも同様のものがありますね。

 本当に一人で買い物していて、点字表記がほしいと思う商品に調味料があります。 特に同じ容器に入った香辛料、また同じ箱に入ったカレールゥやシチューミックス。 中華料理用合わせ調味料。
いくら視覚的には違っても、触っただけでは同じ箱です。

 まだまだ他にも、点字表記があれば…と思うこともありますが私としては、気になることが他にもあります。 それは一人で買い物している盲人が、どれくらいいるのだろう…と言うことです。

 私も近所のスーパーマーケットには一人で行きますが、駅前や大きな店舗での買い物には、家人やガイドヘルパーさんの援助を受けています。 そうなると、よほど言われない限り、商品に点字表記があることには気づかないし、また買い物それ自体に不便を感じないので、点字表記などへの関心は切実なものにはなりません。 一人で買い物してこその点字表記なのです。

また同じようなことが、他でもあるのではないでしょうか? 手引きされて歩いている時は、さほども気にならないものにエレベーターのボタンがあります。 それぞれの階で停止させる上り下りの矢印ボタンです。 これは一人で利用する時にはとても探すのに苦労します。 苦労して、ジタバタしてる時によく偶然に点字の案内板を見つけることがあります。 「ああ… こんなところに案内があったんだ…」

 いくら点字の案内板や表示があっても、それと気づかねば盲人には利用もできない。 存在も知らぬまま通り過ぎる。
だが反面、一人歩きしない盲人が多いのなら、点字の案内など不用なのか?…とも考えてしまいます。


 このままでは、せっかくの「共用品』の概念も、表面的なものになってしまうのではないでしょうか? メーカーは、実際に商品を購入する場合、何が必要な常法なのかを吟味するべきだし障害者側も実際に店頭で買い物し、その店舗の人達にも、こんな商品があることをアピールし、率先して店頭に置いてもらうように働きかけるべきだと思います。

 街頭で見つけた点字の案内板が、ほこりだらけで汚れていると利用されていないのだろうと思い、少し寂しく感じます。

 街頭の案内板も、店頭の商品も、それぞれに存在をアピールする必要もあるでしょうが、障害者のほうからも…『こんなものはないのか?』『こんなものがほしい』と言う声が、もっとあってもいいような気がします。 そして、もしも出会えれば、それを積極的に利用し、やはり同じハンデを持つ仲間に知らせる。
また、ただ漠然と利用するだけじゃなく、その使用感などの感想をメーカーなどに伝え、より良い改良と、末永い継続に努力する必要があるように思います。


ライター:アデリーペンギンこと、上原喜美

おはなし文庫〈adelie club.〉

by amedia  at 13:46  | Permalink

「拝啓 厚生労働大臣さま」~ハローワーク障害者求人の闇に迫る~

精神障がい者就労支援事業所あれび庵
代表 太田幸治

拝啓
厚生労働大臣 柳沢伯夫さま
 安部内閣発足後、日も浅く、大臣としての任務を果たすべく日々奔走されている
ことと思われます。
 社会保障費抑制の問題、とりわけ年金の財源をどうしていくのか、政府として課題が
山積しており、日ごろのご公務、さぞやお忙しいかと存じます。
そんな中、たいへん恐縮ではございますが、本日は要望がございまして、
お手紙を差し上げました。
どうかご一読いただけますよう、よろしくお願いします。
 
 私は一介の福祉事業従事者でございます。
主に精神障がいのある人の「社会で働きたい」という気持ちを叶える仕事をして
おります。
 数年前に厚生省が労働省と合併し、障がいのある人が働きやすくなるものと
期待しました。
 ところが、大臣が管轄される公共職業安定所(ハローワーク)の様子をみると、
そうとも言い切れません。

 ハローワークは障害者求人情報提供の最大手でもあり、働くことを希望する
障がいのある人にとって砦とも言えます。
 そのハローワークが危機に瀕しているようにお見受けいたします。
そこで本日は、私が体験したハローワークの障害者求人窓口での出来事を
ご紹介しながら、障がいのある人がよりハローワークを活用しやすくなるよう改善点を
呈示しまして、大臣にご一考願えればと思う次第でございます。

事例1 求職に来た人に対して「今のあなたに紹介できる仕事はない」と言い切る職員
 まず職員の側に「障害者は働けない」という思い込みがあるのではないでしょうか。
私が精神障がいのある人の障害者登録に同行した時に体験したのは、
職員の方からの「精神障害者は最初は1日3時間、それから徐々に慣らして長くて
1日6時間。今のあなたに紹介できる仕事はないです。ショックを受けるといけないから
今のうちに言っておきます。まずは私との信頼関係を築くために1週間ごとに
ここに通ってください」という言葉でした。
私 が「この人は働けますから仕事を紹介してください」といくら言っても話は平行線。
言われた本人はけろっとしていて後日別の場所で仕事を見つけ働き始めてしまいました。
 たしかに精神障がいの特徴に「集中困難、疲れやすさ」がありますが、
すべての人に当てはまるわけではありません。
求職にわざわざ足を運んできた人に「仕事はない」と言える人の方がどうかしていると
私は思います。
ハローワークが自宅近くにあるケースはまれで、障がいのある人が電車やバスを
乗り継ぎ、大切なお金を使い、期待を胸に秘めて来たことをまずは窓口の人に
ねぎらっていただきたいのです。
求職に来た人に敬意を払い、「この人のために仕事を見つけてあげたい」という
意気込みを障害者窓口の職員には
見せていただきたいのです。
 また、ハローワーク職員との信頼関係は大事かもしれませんが
1週間に1度通っても就職が保障されるわけではないので、まずは職員が、
求職に来た人を信頼するのが先ではないかと思います。
 大臣さま、どうも窓口では主客が逆転し、サービスを受ける側が提供する側に気を
遣っているようです。
 精神障がいがある人の中には、過度に気を遣い、被害妄想が高まるという
特徴もあります。
 ハローワークは政府の市場化テスト案に組み込まれ、民営化されると聞いております。
どうかサービスの基本である「お客様は神様です」という言葉を今一度現場に
徹底させ、求職者に仕事を紹介するという基本業務に職員が精を出すうご指導よろしく
お願いします。

事例2 「週5日毎日作業所に行き、きちんとした生活のリズムを整えた上で、
やれるところを見せてくれないと、こっちも仕事を紹介できない●%★$@*¥・・・」

 前々大臣のときに国会でかなり議論され、
前大臣の時に可決された障害者自立支援法は障がいのある人の就労に力を入れて
いるのが特徴です。
 しかし、働ける力があるのに生活保護、障害基礎年金を受給していると、
なかなか仕事をしようという気になれない人が多いのも事実です。
特に40歳を過ぎると社会で働く意欲がわかないという人を作業所の中でよく目にします。
 そうした現状がある中で、「働きたい」という意欲を見せている人に厚生労働省は
エールを送るべきで、説教している場合ではないと思います。
事例1と関係するのですが、働きたい人の気持ちを受けとめるところから支援は出発
します。
 上の言葉は私が事例1とは別の市のハローワークの障害者窓口で30分以上にわたって
求職者とともに言われたうちの一部です。

 生活のリズムを整えることは大事で、朝から働きたければ日ごろから朝から
起きていないといざというときに体が動きません。
 しかし、作業所はもう退屈だし行く気になれず、
どうせ何もしていないなら働きたいと思うのは自然なことではないでしょうか。

 私が同行した人も作業所には一時期通いましたが作業に飽きてしまい通わなくなり、
家で過ごしていた人でした。
ただ説教するだけではなく、仕事が見つかったらモチベーションも上がり、
生活リズムも整っていくのではないかという視点を窓口の方に持っていただけると、
日ごろ社会と接点が少なくて困っている人も救われるのではないでしょうか。
 どんな人であれ仕事を探しに来た人には、可能な限り仕事を紹介していただきたいのです。

その先の「できる」「できない」は本人の問題です。

くれぐれも本人のやる気や挑戦意欲をそぐ言動だけには神経を遣って
いただきたいのです。

 大臣さまには、仕事に挑戦する意欲を持った人を表彰していただきたいのです。
就職を果たした障がいのある人、その障がいのある人を雇用した会社、
そしてその就職のつなぎ役となった窓口の職員を毎年表彰する制度を設けられたら、
様々な所でとても励みになると思います。
一人でも多くの障がい者が仕事に就きTAXPAYERとなれば、国のためにもなるはずです。

事例3 「ごめんなさい、これは身体障害者の方だけです」
 求職者がややこしい求人登録をくぐりぬけ、ようやく障害者用端末にて仕事を探し、
やっとの思いで求人票を見つけ窓口で面接の予約をしようとしたところ、職員から出た
言葉がこれです。
職員の方は丁重に「こちらのせいです」と謝っていましたが、相互に後味の悪さが残り
ます。
 企業の側からハローワークには採用条件として「障害の種別」「性別」などを
通達してきている場合があるみたいです。それを知らないのが求職者だけです。

 やっとの思いで見つけた一つの求人票が窓口で「これはダメです」と言われて
しまっては悲しくなりますよ。
寅さんではありませんが「それを言っちゃおしめぇよ」です。

 大臣さまも、狙っていた閣僚ポストが「あれは最初から女性と決まっているから無理」
と言われたら、どう思われますか。
私は採用条件をつける企業側を責めるつもりはなく、
最初から求人票に採用条件をわかるように記載していただきたいのです。

 採用条件を明記してしまうと法律に触れるのかもしれませんが、
ハローワークの側で最初から条件を見せない方が余程罪かと思います。
世は情報公開の時代です。公開せずに後悔するなら初めから公開しちゃいましょう。

事例4 「個人情報の問題がありますので郵送はダメです」
 これも不可解な一言でした。障害者求人登録をした人の障害者手帳の有効期限が
迫っていたために、更新後の手帳の写しが必要とのことで「郵送でもいいですか」と
聞いたところ、上の返事でした。
個人情報と郵送不可はどうしても結びつかず、
障害者求人の一切が窓口主義の横行によるものと私は結論付けました。
窓口に来ないとすべてが進まないというのは、障がいのある人にとって負担です。

 一般の求人検索ならインターネットでハローワークのホームページから簡単に
できるのですが、障害者求人はインターネット検索ができずにいます。
障がいのある人こそ在宅などで簡単に求人にアクセスでき、必要書類などもスキャナー
を利用して添付し登録できるようにすれば窓口に行く労力も減らせます。

 おそらくこうした試みはすでに実験段階に入っていると思われ、早期に実用化
されないと、厚生労働省が唱える「障害者雇用を促進させます」という言葉は空言
となると同時に、総責任者である大臣さまのやる気が疑われてしまいます。
 窓口申請は職員の側の都合だけでしかなく、登録する側は仕事さえ見つけられれば
いいわけで、障がいのある人へ余計な負担がかからぬようご配慮願います。

 大臣さま、これまでお目を通していただき、まことにありがとうございました。
現場で起きていることは大臣さまのお耳には届いていないのではないかと思われます。

 そこで、最後に提案があるのですが、大臣さまは「水戸黄門」というテレビドラマを
ご覧になったことはございますか。あの黄門様の風貌と大臣さまのお顔が私には
だぶります。

 ですので、大臣さまのような風格のある方が水戸黄門のように諸国を漫遊されながら、
求職者のふりをしてハローワーク窓口を視察されるというのはいかがでしょうか。
そして、その場で障がいのある人の訴えに耳を傾けられ、
職員を指導されるのがよいかと思われます。
 一方で、障がいのある人のために職場開拓や仕事紹介を熱心に
行っている職員にはぜひとも昇進、昇給などでねぎらっていただきたく存じます。
 今後とも経済活動に参加しようとする、障がいのある人への応援、
よろしくお願いします。

敬具

注:この書簡はアメディアレポート用に書かれたものであり、
実際に厚生労働大臣宛に送付はしておりません。

アメディアレポート

by amedia  at 10:08  | Permalink

たかがトイレ、されどトイレ

 十日ほど前になりますが、アメディアのメーリングリストで、視覚障害者が公共
のトイレに入る際の誘導に関することが話題になりました。
 私も、大変興味深く読ませていただいていましたので、ここで雑感をお話してみ
たいと思います。

 (1) 車椅子対応トイレについて。
 MLでの意見は、大きく分けて二つ。一つは、「実際に車椅子の人がきたときに
申し訳ないので、肢体健常者である視覚障害者は使用すべきではない」と言う否定
派の意見。そして、もう一つは、「異性の誘導者に案内してもらったときに便利。」
「他人に気兼ねすることなく、自由に場所を確認して使用できるので積極的に利用
したい」と言う肯定派の意見でした。
 さて私ですが、この折衷意見です。同性の誘導者がいる場合には、なるべく使用
しません。一番必要としている人が困る事態にならないようにと言うことだけでな
く、実際は、普通の個室の方が、狭い分、空間認知がしやすいのです。劇場などで、
何度か「障害者用トイレ」に案内されましたが、「障害者だからと言って、十羽一
絡げに考えないでくださいね。広くて場所の位置関係を把握しづらいので。」と、
説明したりしました。もちろん、誘導者に、中の様子をちゃんと説明してもらえば
使用しづらいと言う点はクリアーできるのですが、そこまでして使用するのはどう
も気が引けてしまうのです。
 でも、最近、よく男性の誘導者と歩くことが多いのですが、こういうときには、
積極的に利用するようにしています。なぜなら、こういうトイレは、たいてい男子
でも女子でもないところに設置されているからです。さすがに、女子トイレまで誘
導してもらうわけにはいきませんので。
 さらに、最近では、「障害者用」だけでなく、「多目的トイレ」とか「誰でもト
イレ」などと明記されていて、使用しやすい雰囲気にもなっています。もちろん、
車椅子の人が使いたいかもしれないと思うと、気が気ではないので、スピーディー
に出てくることを心がけてはいますが。

 (2)トイレスペース内での誘導について。
 ある男性誘導者から、こんな打ち明け話を聞きました。
 「男子の場合、小のときには、どうしても、手を使うよね。でも、水道まで案内
するとき、その手で捕まれるわけで……、ちょっと微妙な感じ。」と言うのです。
確かに、それはそうだろうなとうなってしまいました。
 私は女子ですが、やはり個室から出た後に水道まで誘導してもらうとき、なるべ
く誘導者に直に触れないように、腕をひっかけるだけにしたり、相手につかんでも
らったりするようにしています。もちろん、普段の誘導ではそんな導き方は、怖い
のでタブーですが。
 誘導する方の率直な意見として、件の男性誘導者の話を聞けたことは、貴重な体
験でした。

 (3) その他
 他にも、切実な問題として、流すところが分からないと言うことがありました。
 便座との位置関係だけでなく、単純に押せば良いのか、手を触れるのか、ただか
ざすだけか、単純に離れれば良いのか、などなど、多様化しすぎて困り果てること
が多々あります。
 せめて、触知板などが設置されているところでは、流し方の説明なども、点字で
付記してくれると、少しは便利なのではないかと思います。

 たかがトイレ、されどトイレなのです。かなり切実な問題なのです。
 ということで、このテーマで、またいずれお話することになるかもしれませんが、
ひとまず今回はここまでにしておきましょう。

目の見えない子を支援するなら~点字定規セット「点字サポーターへの道」

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 14:58  | Permalink

13日の金曜日

 今月の13日は、金曜日でした。
 そんな日、私は、用事があって、電車を乗り継ぎ、1時間ほどかけて、埼玉方面
へ出かけて行きました。
 小田急線沿線の小さな駅が、自宅の最寄駅です。ここを出たのが、朝の8時20
分前後でしたが、なんと、ホームに下りようとしていると、後ろからきた、恐らく
若い女性と思われる人物に、2度ぶつかられ、蹴落とされそうになりました。(若
い女性と思ったのは、ヒールをカツカツ言わせて駆け下りていたことと、ほのかな
コロンの香り、そして舌打ちしたときのかすかな超えから判断したのですが。)
 これを革きりに、いろいろな苦なんが始まりました。
 JR新宿駅のコンコースで、点字ブロックをたどって歩いていると、その賑わし
い話し声から判断して、どうやらご年配の方々であろうと推察される集団が、点字
ブロックをふさいで談笑しているのです。点字ブロックの上を空けて頂きたいと思
い、「すみません」という声を発したら、「はい、なんでしょう?」と言われてし
まいました。(苦笑)
 さて、無事乗り継ぎが終わり、埼玉の某ターミナル駅へ到着したのは良いのです
が、階段の位置を把握してなかったので、いつも一緒に歩いてくれる晴眼者の友人
に携帯で連絡し、「前の方に乗ってきたはずなんだけど、階段ってどのへんだっけ?」
と尋ねると、「うーん、駅員さんに話して連れてってもらったら?」と言う答え。
いったい、どれほど私と過ごしているのかと疑ってしまうような一言です。見えな
い私に、どうやって駅員さんを探せと言うのでしょう。駅員さんを探すくらいなら、
もっと不動で、もっともっと大きい階段を探す方が、どれだけ楽か分かりません。
そこで、ええいっ!とばかりにあてずっぽうで歩き、階段を発見しました。しかし、
これは、間違えると、ぜんぜん違う改札に出てしまうので、そうとうスリリングで
した。
 でも、感は的中。無事に改札を抜け、目的地の近くまで行くことができました。
 しかし、それだけでは終わっていません。目的地近くの高くて狭い歩道を、不慣
れな様子でたどっていると、ちょっと心もとない感じのおじいさんにぶつかりそう
になりました。おじいさんは、「ごめんなさいね」と言う私が眼を悪くしてるんだ
と気づき、「わしが、つれてってやろう」と言い出しました。優しそうなおじいさ
んだったので、誘導をお願いすると、とても喜んでくれたのですが、目的地に着く
寸前、私の手をプニプニと握ってきて、「おねえさん、柔らかくてきれいなおてて
だねぇ」ときました。けっこう気持ちが悪かったのですが、こういう判断というの
が、なかなか難しいのです。特に異性の場合、純粋に親切なのか、ちょっとした下
心があるかとかなどなど。
 帰りは、この駅のコンコースの作りをしっかり理解していなかったため、改札の
中に入ってから、おたおたしていました。そのとき、突然、横合いから私の前をす
りぬけようとした背の高い男性が、「おっと、失礼」と言った瞬間、彼の襟章だか
バッジだかが、私の右まぶたをギリッと傷つけて行きました。
 さらに、この日、帰りの新宿駅では、スペシャルアクシデントがありました。コ
ンコースを歩いていたら、やはり横合いから突っ切ってきた人を避けようとした瞬
間、私は見事にスッ転んでしまったのです。その痛いことと、恥ずかしいことと言っ
たら!!
 待ち合わせの相手と対面したときには、すっかりぼろぼろになった私がいました。
 ざっと、愚痴のごとく話してしまいましたが、本当に13日の金曜日って運が悪
いこともあるんだなと思った1日だったので、ちょいと軽めの文章になってしまい
ましたが、コラムとして出すことにしたのです。

ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 14:54  | Permalink

福祉専門学校で点字の授業

 縁あって、最近、某福祉専門学校に、点字を教えに行くようになりました。
最初、児童福祉科と聞いて、いったいなぜ点字を教えなくてはならないのかと、
疑問に思いました。児童福祉科というのは、保育士さんや児童擁護施設の職員さん
を養成する科だと言うのですから、疑問がわいても当然ですよね。
 でも、知っておくことに越したことはないとは思ったので、お引き受けしました。
 引き受けたものの、聞くところによると、彼ら・彼女らは、とても賑わしくて、
なかなか話を聞いてくれないと言うのです。とっても恐ろしくなってしまいました
が、いろいろ考えた末、目的意識を持ってもらうことが大事だと思いました。
 初日、私は、その考えた末に出てきた「目的」を、さっそく彼らの前で披露しま
した。
 「児童福祉に、点字なんて関係ないんじゃないかと思ってるでしょ?私も、最初
そう思ったんだけど、気がついたことがあるから、話してみるね。みんなが勤めた
保育園や幼稚園に、眼の見えない子が入ってきたとして、点字を教えてあげたり、
それを使って絵本を点訳してあげられたら素敵だと思わない?」
 ここで、ちょっと間を取ります。
 「ああ、そうか。」
 「やってみたい。」
 など、ちらほら、つぶやきのような言葉が聞こえてきます。
 (やった!ちょっと捕まえたぞ!)
 嬉しい感触を得て、さらに続けます。
 「それに、園児たちのお母さんやお父さんに目の不自由な人がいたらどうする?
お知らせのプリントなんかを、ちょちょいっと点字にして渡してあげたら、すっご
く喜ばれると思うよ!少なくとも、私なら嬉しいな。」
 「うわぁ、そうだね!」
 「やらなきゃじゃん!」
 さっきの私語より明確な反応が返ってきます。
 それからの授業は、「賑わしくて聞いてない」なんていう噂を吹き飛ばすほど、
熱心に聞いてくれていました。
 一コマ90分の授業の1階目で、五十音、濁音、半濁音、拗音、拗濁音、拗半濁
音、伸ばす発音の「ウ」の扱い、促音まで説明し、自分の名前が書けるところまで
を一気にやってしまいましたが、ほとんど全員、綺麗に書くことができました。
 確かに、授業の前後や、合間に賑やかなことはありましたが、恐ろしくてびびっ
てしまうほどのことはありませんでしたし、二十歳未満の若者が集う場が、そんな
に静かな物になっていたら、そちらの方が気持ち悪いと感じると思うのです。そん
なわけで、私はとっても気持ち良く彼らと接することができました。というか、で
きています。
 先日も、大雨が降った日にちょうど授業があったのですが、校舎間を移動するの
に、なんと、8人もの生徒が送り迎えしてくれて、3本もの傘が差し掛けられると
言う大サービスを受けてしまいました。
 ひとなつっこく語りかけてきたり、盲人用の時計や生活上の話などに、純粋な興
味を示してくれる彼ら・彼女らは、きっと、素敵な保育士さんたちになって行くに
違いありません。
 さらにこれから数ヶ月、彼らとの付き合いが続いて行く予定なのですが、最後に
どんな風に仲良しになれるのか、とても楽しみになりつつ、彼らを失望させないよ
うに、楽しさをキープして行く努力も惜しまないように努めたいと思っているとこ
ろです。

目の見えない子を支援するなら~点字定規セット「点字サポーターへの道」

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 14:48  | Permalink

芸術の秋には、映画もどうぞ

 私のやっている活動はいろいろあるのですが、今回ご紹介したいのは、バリアフ
りー映画鑑賞推進団体、「CityLights」の活動です。
 今、各地で、聴覚障害者のための日本語字幕が付いた映画上映会とか、視覚障害
者のための画面解説付き上映会などが行われるようになりました。これは、視覚障
害者の立場としては、とても嬉しい動きです。
 そんなグループの一つとして、主に視覚障害者向けの画面解説(以下、音声ガイ
ドと書きます)付き映画鑑賞を行なっているのが、「CityLights」です。
 当会の特徴としては、「視覚障害者のために画面解説してあげる」と言うことだ
けでなく、「好きな映画を、一緒に楽しもう」と言う気持ちでの活動をしていると
言うことです。
 具体的には、(1)福祉的な内容を含む作品、名作と言われる作品に偏らず、視
覚障害当事者の要望も聞きつつ、鑑賞作品を選んでいると言うこと、(2)吟味し
た言葉による作りこみ型の音声ガイドによる鑑賞会だけでなく、現在公開中の旬の
映画を、映画館で観ようということで、ライブによる音声ガイドも行なっていると
言うこと、(3)鑑賞会の後、必ずその内容について語り合える食事会の場を設け
て交流していること、(4)視覚障害者自身も、鑑賞会企画隊長となりインターネッ
トなどを駆使して事前解説メールなどを作成していること、(5)メーリングリス
トを通して、テレビ映画の放映情報・低価格DVDの照会など、あらゆる情報の提
供などです。
 もちろん、音声ガイド作りのための勉強会も定期的に開いています。作りこんだ
ガイド原稿は、視覚障害者によるモニタリングを経て、多くの人々に楽しんでいた
だける場に出すようにしています。
 この10月にも、土日毎に鑑賞会が企画されているようなアクティブさです。
 近いところの予定では、8日日曜日に「フラガール」、9日祝日の月曜日には
「イルマーレ」などと続きます。
 当会では、随時会員を募集しています。詳しくは、以下のHPをご参照ください
ませ。
http://www.citylights01.org

※ 「ライブによる音声ガイド」とは、ガイド担当者が映写室から画面解説をし、
その声をマイクで拾い、微弱なFM電波に乗せて送信します。それを客席で、イヤ
フォン付きFMポケットラジオを使って片耳で聞きながら鑑賞すると言う方式です。

ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 14:35  | Permalink

芸術の秋、そして冬へ向けて

 私の所属している朗読激のグループ、こうばこの会の秋の公演が、10月21日
に、中央線武蔵境駅近くの「武蔵野スイングホール」で行なわれます。
 このグループは、10数年前から活動しているグループで、資格障害者の表現力
としての話芸技術を向上させると共に、日ごろ、何かと「してもらう」立場になり
がちな自分達にも、社会貢献することができればと言う想いで、朗読激、(会の中
では、「トークパフォーマンス」と言っています)の公演を重ねて、きました。ま
た、9年くらい前からは、資格障害者だけが舞台に乗るのではなく、視力の有無に
関わらず、裏方に向く人、表舞台に向く人がいるのだから、共に出演者としても肩
を並べていこうということになり、現在に至っています。
 今回も、様々な色の作品をお聞きいただこうと、腕に寄りをかけて準備していま
す。
 私は、今回は司会者としての参加ですが、楽しくご案内できるように、明るい司
会者を目指したいと思っています。
 宜しければ、下記HPをご覧ください。詳しい情報と、各内部カンパニーの個性
的なコメントに出会えるはずです。
http://www.koubako.jp/

 そして、私は、12月15日~17日に行なわれる、Unit Wolf‐chief Fe
sta第二回公演『おとなのおしごと~TEAM COMICAL DRAGON~』という一般の劇団
の芝居に、初参加することになりました。私以外は全て晴眼者。かなり不安ではあ
りますが、私の役は中途失明の年配の女性。なんとか無理無く、自然に溶け込める
のではないかと思っています。これまで培ってきた話芸を、存分に生かして、良い
舞台にしたいと思っています。
 こちらの公演の情報は、下記HPをご覧ください。
http://www.bakkaribakkari.com/

 やはり、資格障害者にとっての演技ポイントは、話芸です。むりやり晴眼者の役
で動き回ろうとして話芸がおろそかになるよりは、動く芝居であれば、自分の動き
そのままに動ける役でこそ、他のメンバーと肩を並べて演技できるのではないかと
思っているのです。
 お時間のある方、ぜひ、両ステージとも、ご来場くださいませ。

目の見えない子を支援するなら~点字定規セット「点字サポーターへの道」

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 11:38  | Permalink

罰当たりな占い女を撃退!

 前回の最期にお話したように、今回は、私が、生み育ててくれた母や家族に対し
て、どんなに感謝しているのかを痛感したエピソードを書いてみたいと思います。

 あれは、私が盲学校を卒業して、雑司が谷のぼろアパートで初めての一人暮しを
始めたばかりのころでした。大変オープンな、ようするに「セキュリティ」などと
言う言葉からはおおよそ縁遠いようなその部屋には、妖しい宗教勧誘などが、しょっ
ちゅう押しかけてきて、日々悩まされていました。
 ある日、またもや「ごめんくださーい!こんにちは!」という若い女の声。無視
してやり過ごそうとしても、なかなか帰らず、入り口のガラスの引き戸をジャンジャ
ン叩き続けています。たまりかねて出てみると、「私、占いの修行中なんで、無料
で手相を見て差し上げてるんですけど、いかがですか?」とのこと。なんだかちょっ
と怪しいなとは思ったんですが、興味の方が勝ってしまい、手のひらを差し出して
しまいました。
 暫く私の手を眺めてから、彼女は、こんなことを言い出したのです。
 「あなた、ご先祖様への感謝の気持ちっていう物を持っていませんね。」
 「はあ?」
 「自分の苗字を尊び、ご先祖さまを敬わないと、不幸になるわよ。」
 「はあ?」
 「そのためには、まず、きちんとした印鑑を持たなくちゃだめよ。」
 ここに及んで、初めて気づきました。その当時横行した詐欺まがいの霊感商法な
のです。気合入れて、撃退してやるぞと思っていると、そんな気負いがなくても、
撃退する流れになりました。彼女は、私の心の地雷を、想いきり踏んづけたのです。
 「だって、そうでしょ?見えない自分を生んだお母さんを恨んでるってことは、
惹いてはご先祖を敬うことはできないってことにつながるでしょ。」
 瞬間!!私の中で、何かが弾けました。26歳で障害児を生んだ若かりし頃の母
親が、どんな想いをしたのか、そこからどうやって立ち上がったのか、生後四ヶ月
の赤ん坊を抱えて、あちらこちらの眼科を渡り歩いたり、無理解な周囲の人達から
の心無い言葉を浴びたりしつつも、けなげに私を守り育ててくれたこと、片道10
キロの通学をさせるために大嫌いな車の運転をする決心をし送り迎えしてくれたこ
と、娘の最大の楽しみのために、苦しい生活の中にありながら中古のピアノを買い
習いに行かせてくれたこと、心豊かな子にしたいと思ってたくさん本を読み聞かせ
てくれたことなどなど、一気に胸に押し寄せてきて、眼から溢れ出したのです。
 「感謝こそすれ、親を恨んだことなんて、ただの一度もありません!!」
 叫んだ私にたじたじとなりながらも
 「それは綺麗事でしょ?」
 と言いかけたけれど、
 「どうして、障害者が親を恨んでるってことを大前提にしてるんですか?!両親
も祖父母も、どんなに私を大事にしてくれたか分かりもしないくせに、いいかげん
なこと言わないで!」
 と返したら、何も言わずに逃げていってしまいました。
 その夜、実家に電話をかけ、「お母さん、いろいろありがとね。」って言ったら、
気味が悪いと笑われてしまいました。

 機会があれば、いずれまた、「障害者と家族」をテーマに、何か書いてみようと

ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

思います。
by amedia  at 11:34  | Permalink

障害児のお母さん

 今回のマスコミトピックスの中で、ダウン症の赤ちゃんのお母さん達に向けての
本を作った先輩ママ達の記事が紹介されています。それを読んでいて感じたことが
あったので、今回はそんなお話をしてみたいと思います。
 ダウン症に限らず、重度の障害を持って生まれてきた子供を抱えたお母さん、と
いうか、家族達は、想像を絶する不安と戸惑いを感じるはずです。中には、無理心
中を図ろうと考えてしまうお母さんも少なくありません。現に、私の友人の中にも、
母親から聞いたという、そんな話をしていた人が何人かいます。
 けれど、実行に移すことを思いとどまり、なんとか、前向きにそこを乗り越えた
人達は、いつの間にかその子供が存在することを、極普通のこととして受け入れ、
そして健常児の成長を見守るのと同じように、日々の小さな変化を喜びに感じていっ
たりするようです。
 以前、杉並区のダウン症の小学生のお母さん達のグループに、読み聞かせと歌の
お姉さんとして呼ばれていったことがあります。小さな可動式のベッドに寝たきり
の6年生の男の子は、普通に口を利くことはできなかったのですが、ピアノの弾き語
りをし終わった私の指をしっかり握って、超えをあげて笑ったようでした。私は、
なんだか、とても嬉しい気持ちになって、彼の手を握り返していました。
 その子のお母さんは、とっても気さくな女性で、「この子を生んで育てて、本当
に良かった。大変なこともいっぱいあるけれど、その分、喜びもいっぱいもらえる
んですよ。」と話してくれました。そして、その場にいた他のお母さん達も、みな、
同じような話をしてくれました。
 今回出版されることになった本では、赤ちゃんの障害を宣告されて動揺の真っ只
中にいるところへ、いきなり医療的なことばかりを説明される若いお母さん達の心
のケアと、具体的な生活上のアドバイスをする為に、先輩ママさん達が様々な体験
談やアドバイスを掲載してくれているそうです。
 今回の本では、ダウン症中心にはなっていますが、他の重度障害の子を持ったお
母さん向けにも、そういった本が出版されると良いのにと思います。この本をきっ
かけに、編纂してみようと言うママさんチームが現れないものでしょうか。
 ちなみに、家の母は、既に喉元過ぎて、いろいろ忘れてしまってるらしいので、
むりそうですが。(笑)それでも、折に触れては、幼かった私との想い出を、ちら
ほら語ってはいるのです。
 そうだ!そんな話を書き留めておいて、視覚障害者版元気引っ張り出し本の種に
して、やがて編纂していってみるのも、ひとつの方法かもしれません。やってみた
いけれど、有言不実行に終わることの多い私なので、約束はできませんが。
 最後に一つ。
 同じ重度障害者でも、人それぞれ、いろんな感覚を持っているので、私の想いが
全てではないと思いますが、私は、生んで育ててくれた母と家族達には、大いに感
謝しているのです。次回は、そんな感謝の気持ちを大きく自覚したあるエピソード
について語ってみたいと思います。

目の見えない子を支援するなら~点字定規セット「点字サポーターへの道」

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 10:59  | Permalink

障害者の自立は応益負担から始まる

  1. 政府はただちに「いのち」、「人権」そして地域生活の実現という観点から、障害のある人の実態やニーズ把握に基づいて、障害関連予算の見積もりを一からやり直すこと。
  2. 政府はただちに「障害者自立支援法」の出直しを図り、原則1割の「応益負担」を中止すること。
  3. 政府はただちに「障害者自立支援法」の出直しを図り、障害者が地域で人間らしく生きていけるように、支援・サービスの社会基盤整備について立法措置を含めた拡充策をとること。
  4. 政府はただちに「障害者自立支援法」の出直しを図り、難病や高次脳機能障害を含め、あらゆる障害を法制度の対象にすること。
  5. 政府はただちに、障害者が地域社会の中で、個人として尊重され、かつ安心して暮らせるように、年金などの所得保障制度を整備すること。

これは、10月31日に日比谷で行われた『出直してよ! 「障害者自立支援法」フォーラム』でのアピールの締め部分だ。

これを読んで、既成の福祉概念に縛られている福祉関係者の苦しみを改めて感じる。

私たちは何か自分にとってプラスになる事象が他人の作業によって行なわれたとき、普通それが「益」に当たるかどうかなどという哲学論争はしない。

現状よりも改善されることなら、それは間違いなく「益」だと感じる。

そして、人は皆、自分にとっての益を売るために対価を支払っている。

  • 飯を食う
  • 本を読む
  • 音楽を聴く
  • ぐっすり休む
  • 風呂に入ってさっぱりする

どれをとってもその人にとっては「益」である。

そして、人によって額は異なるが、どの場面でもそれなりの支出をしているのである。

もしも益を売るのに自分のポケットから一銭も出さなくてよいとしたら、その人は本当に自立していると言えるだろうか。

その人は他人と平等に扱われていると言えるだろうか。

このように考えると、応益負担こそ、障害者が特別視されずに社会に受け入れられる第一歩ではないかと感じる。

また、障害者自身も、これをきっかけに、これまで受けてきた多額の福祉サービスに感謝しつつ、次のステップへと歩を進める腹を決めるべきではないだろうか。

障害者自立支援法を踏み台にステップアップしよう!

ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン

(「週刊福祉情報」コラムニスト・マジオ)

by amedia  at 11:20  | Permalink