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春うらら
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小さい頃からの小さな夢-ITで半分適ったけれど……

 私は、読書と音楽が大好きです。それはもう、物心付いたときから、
ずーっとです。だから、私の好きな場所は、本屋さんとレコードショップでした。
母に連れられて訪れるその場所は、常に夢に満ちていました。
 タイトルや内容を読むことはできなかったけれど、僅かに視力のあった頃の私は、
綺麗な色の背表紙が並んでいる本屋の棚を見つめることとそっと抜き取ってページを
パラリとめくり新しい本の臭いを嗅ぐことが、
夢の一端に触れるようなわくわくした気持ちを起こさせてくれるので、本当に大好きでした。
特に、お気に入りの少女小説のピンク色の表紙が並ぶ棚の前では、
母が1冊1冊丁寧にタイトルと作者と内容紹介を読んでくれることもあり、
時間を忘れてたたずんでいたものです。
その中から選んだ1冊を買い、毎日2時間くらいずつ母に読んでもらうのです。
そうやって、いったい何冊の本を読んでもらったことでしょう。
 また、レコードショップは、本屋さんほどのわくわくはなかったものの、
盤面の状態を確かめる意味での試聴により、
家で聞くよりも遥かに良い音でお気に入りの曲を聴くことができるのが楽しくて、
大好きな場所になっていました。
 けれど、中学で親元を離れた私には、それらの場所が嫌いな場所に変わっていました。
本屋さんで、レコードショップで、丁寧に私の好きそうな物を読み上げてくれるなどという
面倒なことを頼める人はいないのです。
気付けば両眼とも視力0になっていた私にとって、同じような手触りの物が並んでいるだけの棚は、
寂しい、いや、空しい物となっていたのです。ふと、母親のありがたみが身に沁みて感じられました。
 特に、レコードショップは、視覚障害者が一番楽しめる「聴く」あるいは「聞く」と
いうことを目的としたメディアが並ぶお店なのに、点字もなにも付いていない為に、
どれがどれやら判らないという状態なのが、とても口惜しく思うようになりました。
また、80年代半ば以降は、レコードではなくCDショップとなり、その場で好き
な音楽を試聴するという楽しみも無くなりました。

 ところが、近年、インターネットの利用で、本屋さんもCDショップも、
家にいながらにして、自由に検索したり内容紹介を読んだり、
音楽を試聴したりできるようになりました。これは、私にとっては、本当に画期的な変化です。
(ただし、アクセシビリティは決して良い物とは言い切れませんが。)
それは、失われた夢の一端に手が届いたような想いのする喜びです。
ITの発達とそれを担ってきてくれた多くの開発者の皆さんには、大感謝せずにはいられません。

 とはいうものの、やはり今でも、本屋さんは、大嫌いで大好きな場所ですし、
好みに合わない音楽が鳴り響くCDショップはむしろ苦痛を感じるくらいの場所です。 
 ネット空間ではなく、普通の商店街にあるアナログ空間であるそんなお店でも、楽
しめるよう、コードリーダーなどを駆使した音声読み上げシステムが開発されたら、
また、あの新しい本のページをパラリとめくるときめきに出会えるのでしょうか。
 いや、その前に、お店の人と親しくなって、好きな本、好きなCDを、いろいろ紹
介してもらえる関係を気付いていく努力もしなくてはいけませんね。

ながら仕事でもホームページが楽しめる音声ブラウザ・ボイスサーフィン

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 18:19  | Permalink

地域生活と歩行訓練

私は、盲学校に通っていたころから歩行訓練を受けてきた。
最初に、受けた歩行訓練は、小学部1年生の時に、
白い杖を初めてもつということが始まりだとおもう。
その当時、私が、庭に落ちていた竹の細い棒を杖の代わりにして遊んでいたら、
早速、私の母が、担任の先生に手紙をかいた。
すると養護の先生が、子供の背丈にあう、白い杖をつくってくださった。
私は、早い時期に、見えなかったたら、
白い杖を持つものだということを覚えておいて良かったとおもう。
それから、養護訓練の時間に、白い杖の役割とか、
どのような、働きをするかなど基本的なことを覚えていった。
地域で生活をするということで、歩行訓練を受けるきっかけができる。
それは、2005年に新しい家に引っ越したために、家の周りや、
家の近くの郵便局までいくことができればいいなとおもったので、
横浜市の民間の施設の人にお願いしていま、歩行訓練を受けている。
今、受けている訓練では、短い距離を確実に歩くことができるようにするということで、
家の前の道路の端から端までいくということから始まり、
郵便局の前のバス停の道路の端までいくというところまで進んだ。
私は、今まで、歩行訓練を何度も受けてきたが、私の経験を書くと、
必要になったら何時でも、歩行訓練を受けて欲しいと思う。
それから、リハビリに携わる皆さんも、
短い期間の歩行訓練の必要を満たすことができるような体制を整えて欲しい。
私の、受けている訓練では、お菓子の箱を使って、道路の形を覚えるということをする。
そのお菓子のはこは、たて3cm、 横が6cmぐらいの小さなはこなのだけれども、とても判り易い。
そんな、お菓子のはこがあったら、使ってみるのも良いと思う。
さて、その箱の中身は、どのようなお菓子なのか。おそらく、ガムか、なにかだと思うが、
もし、お菓子の売り場でそのような箱をみつけた人は、すみませんけど、銘柄を教えてくださいね。
私は、歩くということについては、あまり神経質ではなくて、
短い距離で、もっとも必要な所だけを覚えて、後は、ガイドヘルパーの人に、頼んで、
外出を介助してもらえば良いと思っている。
これからは、地域での生活が、重要になるとおもうので、うまく。リハビリ施設を活用するのが良いと思う。
蒔田 麻耶様より

by amedia  at 16:46  | Permalink

一緒に読書を楽しみましょう! - 「バリアフリー読書サークル YAクラブ」の

 皆さん、こんにちは。ご無沙汰してしまった美月です。
 今回は、少しトイレの話からは離れて(笑)、私の大きな活動の一つ、「バリアフ
リー読書サークル YAクラブ」(略称 YAC)についてご紹介してみたいと思い
ます。

 YACは、99年5月に発足した読書サークルです。それも、ある程度、ジャンル
が限定されたサークルで、主に10代20代の若い世代に好まれるタイプの小説を楽
しんでいます。(主な例としては、女子向きでは集英社コバルト文庫、講談社x文庫
、小学館キャンバス文庫、角川ビーンズ文庫・スニーカー文庫など、男子向きでは富
士見文庫、ファミ通文庫、電撃文庫など、その他、高学年向け児童文学なども。)
 というのも、私自身が中学・高校生時代、漫画が読めないどころか、小説でさえ同
世代の子たちが読む物を読めずに過ごしてしまったことへの無念さを大人になっても
引きずってきたからです。
 今では、点字図書も録音図書も充実してきていますが、つい10年くらい前までは
、点字図書館でも公共図書館でも、視覚障害者向けの図書としては、ベストセラー物
や大人の読む物に偏っていたように思えました。それは恐らく、働き盛り以後に失明
した方が多いことと、先天性の若い視覚障害者には世の中に出回っている本の情報を
入手する手段が無かったことに原因があったのではないでしょうか。
 そう考えた私は、「朗読ボランティアグループだけど、視覚障害者自身も一緒に活
動して、情報交換もしつつ、感想も語り合えるグループ」として、YACを発足した
わけです。

 活動内容は、以下のとおりです。
 (1) メーリングリストを通して、晴眼者と視覚障害者が読書情報を交換し合い
、交流を深めています。ときには、アニメの画面解説などのやりとりもあります。
 (2) その中で話題になった本があれば、それが点訳・音訳されているかどうか
調べ、どこでも作成していないようなら、晴眼者会員、あるいは、非会員の朗読協力
員に依頼して、朗読図書を作成します。(必ず、著者に録音許諾をいただいています
。)
 (3) 出来上がった録音図書は、会員の人たちの希望に応じて全国に貸し出しを
します。(郵便発受施設指定の認可をいただいていますので、無料でやり取りできま
す。)
 (4) 定期的に、事務局長の家などに集まり、交流会を開き、晴・盲問わず、事
務作業なども手伝います。
 (5) 企画物として、読書会、アニメ鑑賞会、ゲーム会、点字教室、朗読教室、
バリアフリー講座、小説に因んだ場所を訪れるお出かけ企画なども行なっています。
 (6) 現役中学・高校生たちへの読書啓発活動。

 最近のニュースとしては、安倍晴明(あべの せいめい)の孫を主人公にした人気
シリーズ「少年陰陽師」の作者結城光流(ゆうき みつる)先生との交流です。他に
も何人かの作家さんと交友を深めてきましたが、最新刊の「あとがき」に、点訳・音
訳の話とかYACのことを、盲導犬話と共に書いてくださった作家さんは初めてで、
大喜びしました。

 また、これは著作権問題などと共に研究中なのですが、全国の会員さんも、もっと
身近に交流しようということで、「スカイプ朗読会」なる試みも始めました。(まだ
、不定期で、次の予定は決まっていませんが。)

 現在、晴・盲、老若男女含めて、会員は100名強。最高齢の方は、既に70歳を
越しておられます。いくつになっても、面白い物は面白いのです。楽しい小説、感動
できる小説、じんわりと染みてくる小説など、会員さんたちから愛されている録音図
書の数は、既に500タイトルを超えています。
 素敵なお話に出会いたい方、朗読をするのが好きな方、情報提供をすることが得意
な方、ぜひ一度お問い合わせくださいませ。とりあえず、私のアドレスへどうぞ。
YIV01420@nifty.ne.jp

目の見えない子を支援するなら~点字定規セット「点字サポーターへの道」

(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

by amedia  at 16:23  | Permalink

点字つき触る絵本

昨日私は、点字つき触る絵本、ドラエモン遊びがいっぱいを買った。 今回も、機関車トーマスと同じように、岩崎書店という私の家の近くの書店で買った。 これで、私の長年の希望がかなえられた。 私は、長い間Npo法人、Ud絵本センターに会員として所属しているが、Ud絵本センターではっこうされているものは、確かに良いものなのだけれども、一般の書店で購入することができない。 これでは、どんなに良いものを作っても、一般的にみたら普及しない。 やはりこのような絵本製作の試みが開始されても絵本の魅力を沢山の人たちに知ってもらうには、有名な出版社から発売されることがもっとも良いとおもっていたら、小学館が2冊発売した。 それで私は、すぐに、読者用のはがきに、購入したむねを書いて、送った。 これからも、このようなとりくみがあるかとおもうが、良い本が、沢山出版されて欲しいとおもう。
蒔田 麻耶様

by amedia  at 14:54  | Permalink

エスペラント

皆さんはエスペラント語という言語があることを知っていますか。 私は、盲学校に在学中に、「誰か、エスペラント語を学びたい人がいましたら、いってください」という案内があった時に、そんな言葉があるのだなとおもった。 それから長い月日がながれ、点字毎日という新聞の記事の中で、講習会の案内があったので、テキストをもらうために、電話をした。 そうしたら、そこに、もと、盲学校の先生が、エスペラント語を学んでいることを知った。 ここまで書くと、エスペラント成功物語のようにおもう人もいるかもしれないが、私は、テキストをもらったもののいっこうに、エスペラント語が好きにならず、嫌いになってしまった。 どうして、私が、エスペラント語が嫌いになってしまったかというと、英語でもなくて、スペイン語でもなくて、ポルトガル語でもないこの言葉は、とても奇妙で怪しい言語だなとおもったし、はたして、この奇妙な言葉は、誰がどこで使うのだろうという疑問がわいた。 それとともに、今の時代、国際語といわれているものは、英語フランス語、スペイン語、中国語など、一般に知られている言語なのに、この奇妙な言葉は、あまり認められていない、それに、もしこの世界に、エスペラント人という民族が存在したら、どのようなことになるのかとおもうと、やっぱり、きみが悪い、例えば、Euに加盟している国々の人たちは、おそらく、英語やフランス語やドイツ語などさまざまな言語を話し、特有な、文化をもっている。 でも、エスペラント語が、もしEuの国々で使用することになったら、怒る人たちもいるとおもう。 聞いた、話によると、にとべ いなぞうの時代に、エスペラント語を国際語にしようとの話があったそうだが、その時に、反対してくれたのが、フランス人だそうだ。 先生がいうには、もしも、興味がまたでたら、やってみてくださいといわれたが、私は、心の中で、「たとえ、沢山の、お金をはらうといわれても、ぜったい、エスペラント語なんか、喋らない」とおもった。 もらった、テキストは、エスペラントきょうかいに返却ということにした。 私は、国際問題には詳しくはないが、おそらく、今のままで、いけば、エスペラント語は、国際語としては、普及しないとしないとおもうし、もしも、そのような、話がでたら、にとべ いなぞうの時の、フランス人のように、私は、怒るとおもう。 
蒔田 麻耶様

by amedia  at 14:43  | Permalink

トイレの話

 わたしも障害者トイレを使う事がある。だれかが言っていた。あのトイレに鍵をかけておいて、使う人は売店に借りにきてほしいと。そうしないと、トイレの中に人が住んでしまうのだそうだ。これは、人が住むと言うモラルの問題化、ただ単にセキュリティーの問題なのかはわからないが、施錠するというのはどうかと思う。
 今から10年ほど前、ディズニーランドに行った。わたしらはグループで行っていて、たまたま車椅子使用者が使おうとしたその瞬間、中国人グループが我先にと入ろうとしたので、内のお袋が怒鳴った事があった。マナーさえ守れば、施錠などする必要はないのではないか。
齋藤勝利様

by amedia  at 14:37  | Permalink

点字が付記されているもの

この間、家で食事をしようとしていたら、お袋がわたしの手を便のふたに触らせた。「ソース」と点字で書いてあった。あれには驚いた。それは、豚カツソースだった。点耳の濃さは、ちょうど良かった。以前、スポーツ仲間が水のペットボトルを持っていて、彼女がわたしにそれを触らせた。「水」と点字で書いてあったが、かなり薄かったのを覚えている。
 最近は、点耳のメニューや商品に点耳が付記されているものが多く、われわれにはありがたい事だと思う。とくに、トイレのウォシュレットは、最高。GWに、お袋の実家に行ったときにトイレに入ったら、それがついていた。それ以来、いろんなものがあるんだなぁと感心するばかり。
 ウォシュレットは、いろいろなメーカーから発売されているが、詳細に付記されているのは、イナックスだと思う。
 なんだか、メーカーの回し者のようですが、決してそうではございませんので、ご心配なく。
齋藤勝利様

by amedia  at 14:35  | Permalink

続「障害者の無理解」は被害妄想

 わたしも「障害者の無理解は、被害妄想」だと思う事がある。かつてわたしも障害者には理解がないから、スポーツもできないと思い込んでおり、スポーツをするときに付き添ってくれるボランティアさんが誘導の仕方が下手だと感じたとしたら、「視覚障害者をわかってない」とよく思ったものだ。
所が、最近は、そうは思わなくなった。それは、いちいちそう言う事を口に出して言っていては、相手も困ってしまうし、視覚障害者だけが障害者ではないと言う事を認識した事があったからだ。
むしろ、障害者の無理解は、自分の親戚の方だと思う。
わたしは生まれつき全盲であったためか、それとも両親の実家が地方だったからかはわからないが、
むこうに行くと、うまれて37年いろいろ嫌味を言われて、いい気持ちにはなれなかった。
それは今でも変わらないが、回りは少しずつ理解はしているものの、まだまだだと思うので、そう言う時は、たしなめるようにしている。
理解を求めたければ、自分の側から声を発する事だと思う。
そうすれば、少しずつではあるが、わかってくれるし、こちらも相手の事情をわかるようになると思う。
齋藤勝利様

by amedia  at 14:33  | Permalink

障害者に対する「無理解」は被害妄想

私が加入している東京中小企業家同友会で、障害者雇用アンケートを取っている。
これは、ここ数年、3月から5月ぐらいにかけて、会員の経営者に対して取っている調査アンケートだ。
東京中小企業家同友会は各支部に分かれており、4月には、各支部での総会が行われるので、
障害者委員会の委員が手分けして各支部総会でアンケートのお願いに上がった。
実は、ここまでは話の前振りであって、アンケートは主題ではない。
さて、それぞれの支部を訪問すると、
親しい仲間が重要な役割を果たしているところではとてもやり易い。また、居心地も良い。
一方、知り合いがほとんどいない支部では、なんとなくよそ者雰囲気を感じ、居心地が悪い。
私が所属する豊島支部総会に写真をとるために参加していた別支部所属の私の友人が、
「最初はみんながあなた誰?」という目で見るので居づらい雰囲気があったが、
写真を撮りながら言葉を交わし始めたら自分の心の居場所が確保されてきた、
というような話をしてくれた。
実は、こんな風景はきわめて一般的である。
そんなことをなぜここに書いたのかというと、私達障害者は、こんなとき、「周囲は無理解だ」とか、
「障害者を受け入れてくれない」などと感じることが多いからだ。
実は、健常者でも、自分にとって馴染みのない集団に入ると、最初は疎外感を感じる。
しかし、彼らは、これを「無理解」などとは思わない。
一方、私もかつてそうだったのだが、多くの障害者は、この状態を「障害者に対する無理解」だと感じる。
この感じ方は被害妄想である。
」無理解」なのではなく、「まだ馴染んでいない」だけなのである。
被害妄想で自分自身で回りにバリアを貼ってしまうのは実にもったいない話だ。

(株式会社アメディア 代表取締役 望月優)

by amedia  at 15:33  | Permalink

点字と墨字

視覚障害者の世界では、点字に対して、一般の人たちが読む文字を墨字という。
どうして、墨字というのかについては、昔、Ink printというものを日本語にしようとしたときに、
墨字が良いだろうということで、墨字という説もある。 盲学校では、この墨字を使う生徒がいた。
墨字を使うことができる生徒は、弱視の生徒で、教科書に顔を近づけて、細かい文字を読む生徒が何人かいた。
その当時、私が通っていた、学校では、弱視の生徒と全盲の生徒がクラスわけされていた。
担任の先生も、例えば4人の弱視の生徒を一人の先生が担任していたり、
また7人から8人ぐらいの、全盲の生徒を一人の先生が担当するということがあった。
父母への連絡は、学校から墨字のプリントが配布される。
私のいた盲学校では連絡ちょうというものがあり、それに、配布されて来るプリントをはさんで家に持ち帰っていた。
父母への連絡のこうもくといえば、PTAの会合のお知らせとか、
先生の家庭訪問のお知らせとかうんどうかいや父参観日のお知らせなどだった。
全盲の生徒は、国語の時間に点字を勉強したが、今でも、生活の中で、点字を使用する時は、点字を使用している。
例えば、読書をする時や電話番号やメールアドレスをメモしたりなどする時は点字を使用する。
なぜかというと点字は、物事を正確に記憶しておきたいときに使用する。
例えば、電話番号やメールアドレスなどは特に、正確に記憶していないといけないものだ。
やはり、読書も耳読書といわれている現代に生活していても、点字での読書のほうが良いことがある。
もしも、私が、点字の読み書きができなかったとしたら、次のような不便なことが生じてくるとおもう。
1. 読書ができない。2.駅などにいっても、点字の表示が読めないために、キップを買ったり、
料金などを確認したりなどができない。3. 情報を正確に、受け取ることや、記憶することができないために、
電話番号やメールアドレスなどを間違って記憶してしまい、相手に、迷惑をかけてしまう。
これらのことを考えてみると、点字を覚えていて良かったとおもう。
蒔田 麻耶様より

by amedia  at 15:29  | Permalink

点字メニューに、一言

皆さんは、点字メニューに触れることが月にどのくらいありますか?
私は最低でも月に1度は点字メニューに触れていますが、先日こんなことがありました。
というのも、昼ご飯を食べるために、近くの飲食店に行き、メニューを読んで、品物を注文したのです。
中に、カツニというものがあり、何気なしに、注文したところ、その品物が、鍋物であったのです。
そして、店の人は、何気ない感じで、鍋が煮えたら火を消してくださいといったのです。
私は、驚きましたが、いまさらいりませんとも言えず考えたあげく、
煮えたら火を消してくださいといいました。
その後店員は、こちらの取りざらでおめしあがりくださいといいました。
私はドンブリニ入れていただけますかとお願いしてカツニを食べました。
こんな経験は、初めてでしたが、今回は私にも責任があるかなぁぁぁと思っていますが、
しかし最近、点字メニューに省略版が多いということが、
今回の出来事に繋がったのかもしれません。
 活字版はどのように書いてあるかは、わかりませんが、
点字版は、省略版が多く、今回のように、カツニとだけ書いてあっても、鍋物だとは思わないと思います。
今回のことは皆さんはどう思いますか?私はお店の人に、
もっと聞いて頼むべきだったとはんせいしているところです。
ヤノ、ケン様より

by amedia  at 15:29  | Permalink