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春うらら
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小学生の考えた校内バリアフリー

 先週、杉並第五小学校4年生のクラスに呼ばれていってきました。
 このクラスには、先月点字を教えに行ったついでに、
視覚障害者の誘導の仕方などちょっとした豆知識を入れてきていました。
 その1ヶ月後、子供たちが考えたバリアフリーな遊びの企画に
付き合うことになっていたのですが、なんと途中で予定変更になったとかで、
「学校の一日を想定して、校内のバリアフリーを考えるので、
その考えたことにアドバイスをするという形できてほしい」と言われたのです。
 二クラス十班に分かれた子供たちに、
いろいろな障害を持った人やそのサポートをする人がついて
アドバイスをすることになりました。
 私が担当した子たちは7人程で、自己紹介の後、
みんなと一緒に校内を歩き回りました。
 内容は、「玄関の床がつるつるしていて滑るから、材質を変えたい」
「廊下に給食の配膳用のワゴンや図書が積んである机などが出ているので、
危ないからその傍に点字ブロックを付ける」
「トイレの入り口の引き戸のレールが低くなっていて危ないから、
自動ドアを付ける」「階段は危ないからエレベーターを付ける」など、
さまざまでした。
 それぞれ、「確かに滑るから危ないね。
でも、床が滑るのは走ったりするからなので、
そのために張り替える必要はないよ。
でも、場所によって床の材質を代えてると、
足の裏から伝わってくるその感触の違いで分かりやすくなるかもね。」
「ぶつかると痛いけど、ワゴンや机のように簡単に置き場所を移動できちゃう物は
点字ブロックをつけても意味がなくなっちゃうから、
歩く側が壁際を歩くときには気をつけるようにすれば良いのよ」
「レールがちょっと低くなってるくらいなら気をつければ良いだけなんだけど、
それより、ドアのところに、手で触って分かるような
男女の識別マークがあると良いね。
点字も嬉しいけど、中途失明の人も困らないように
マークの形を貼り付けたらどうかな」
「目が見えないだけならエレベーターは要らないんだけど、
足の不自由な人には大切なことだね」などと答えました。
 子供たちなりに一所懸命考えたアイディアの集積なので、
頭ごなしに否定することなく、いったん受け止めて判断しようと心がけましたが、
あまりにも面白いシチュエイションでは押さえきれないこともありました。
 ある男の子が、冷水機のところで、
「これは、お水が出てくるところが分からないだろうから、
顔を近づけると自動的に水が出てくるようにしたらいいと思います」と
言ったときには、思わず吹き出してしまいました。
「綺麗に洗った手で探せば良いのよ。
それに、自動で出てきちゃったら、顔にビャーッとかかっちゃうじゃん。」
そう言って、その冷水機で水を飲んで見せました。
「なるほどー」の声に続いて、明らかに使いやすさの
感想を聞く「どうでしたか」の質問が出てきましたので、
すかさずいかにも美味しそうに「うまいっ!あ、そうじゃない。」とやったら、
子供たち一斉に爆笑してました。
 また、なかなか良いところに気づいた子もいました。
「階段の手すりと壁の間が狭くなってるところがあるんですけど、
ここは握りにくいので、広くする必要がありますよね?」と言うのです。
確かに、手すりを頼りに上っていくと、途中やけに狭い隙間の部分がありました。
本当によく気づいたなと関心させられました。
 予断ですが、子供たちは「敷居」という言葉を知りませんでした。
敷居のところでも、「あ、段差です」と言うのです。
本当は敷居があるだけでフラットなのです。
そこで、「こういうときには、敷居がありますよ、って
教えてくれると分かりやすいよ」と教えてあげると、
みんな初めて憶えた言葉を何度も繰り返していました。
中には、「しきりだっけ?」なんてふざけてる子もいましたが。(笑)
 本当に素敵な時代になりました。
こうして、福祉のことに目を向けてくれる教育を小学生のうちからしていくのは、
とても嬉しいことです。
願わくば、バリアフリーやユニバーサルデザインを考えるとき、
お金をかけて設備を変えることだけでなく、
人と人との助け合いで解決しようとする視点も持っていけるよう、
先生方にも考えていっていただきたいものです。

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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

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素敵な『うたい人』発見!

 前回、「努力は工夫だと思えば良い」というお話をしましたが、
何かしらの障害があると、さらにそのパワーが増幅されるようです。
 古くは、ベートーヴェン。この人は、晩年耳が不自由になってからも名曲を
書き続けました。重厚でしかもメロディアスな心に沁みる曲調には、
本当に胸を打たれます。
 また、現在の日本の女性ヴォーカリストでも実力トップクラスの
Misia(ミーシャ)は、小耳に挟んだところによれば、やはり片耳が難聴なのだとか。
この人の楽曲も素晴らしく、特に「陽のあたる場所」というオリジナル曲の中に
出てきた「♪もしも言葉が無くなっても歌えるよ」という歌詞をを聞いたときには、
思わず胸がキュッとなりました。

 そして、つい最近、新たに逆境を乗り越えた素敵なシンガーを知ることができました。
木山裕策(きやまゆうさく)さん(39歳)です。
 最初に彼の歌声を聞いたのは、数ヶ月前の「歌スタ」という番組内でのことでした。
これは、日本テレビ系列で月曜の深夜(正しくいうと火曜日になりたての時間)に
放映されている番組で、J-pop系のシンガーをメジャーデビューさせるための
オーディション番組のような物です。
「ハンター」と呼ばれる作曲家たちが、「うたい人(うたいびと)」と
呼ばれるアマチュアのシンガーの歌を聞いて、
楽曲を提供するに値するかどうかを審査していく番組です。
 その番組に、平井堅(ひらいけん)の「瞳をとじて」を引っさげて登場したのが
木山さんでした。細かいビブラートがあまり好きではない私でしたが、
彼のシルクのように柔らかな声でのビブラートならOKだったし、
オリジナルの平井さん以上に誠実な優しさを感じさせてくれるその歌声にすっかり魅了されました。
予測どおり、ハンターたちの心を打ち、
二曲目としてビリー・ジョエルの「ピアノマン」を聞かせてもらうことになりました。
これは、もともと大好きな曲なので、私としては「下手に歌ったら承知しないわよ」と
いうちょっと意地悪な気持ちで受け止めたのですが、これもまた期待を遥かに凌駕する実力でした。
でも、ハンターたちはそう思わなかったのか、「ごめんね」宣言をされてしまったのでした。
この辺りから、私はこの番組に不信感を持ち、「もう観るもんか」と思ったのですが、
やはり気になるので毎週しっかり観続けました。しかし、さらに納得のいかない結果が続き、
かなり腹を立てていた
ところへ……。
 今週の「歌スタ」も、惰性で観始めたのですが、なんと、リベンジ企画として、
あの木山さんの歌声を聞くことができたのです。
 前回の歌声を聞いていたレコード会社の人と、ハンターである多胡邦夫(たごくにお)さんが、
やはり彼を放っておけなくなったらしいのです。
 そして、多胡さんは、四児のお父さんである木山さんに、
親子愛をテーマにした『home』という楽曲を提供したのです。
 多胡さんは、木山さんより五つ程若いようですが、やはり小さな子供のお父さんなので、
自分の想いを重ね合わせて、心を込めて作詞・作曲したそうです。
ちなみに、多胡さんは、シンガーソングライターとしての活動もしていますが、
元々は Every Little Thingや浜崎あゆみなどへの
楽曲提供もしてきているミュージシャンなんだそうです。
 この想いをしっかり受け止めて歌う木山さんの歌声、そして多胡さんが作った曲は
、相乗効果で素晴らしい物になっていました。
 気が付くと、私は、ティッシュを握り締めてポロポロ泣いていました。
 じつは、木山さんは、2年前に甲状腺に腫瘍ができて手術したそうですが、
そのとき、医師に「声が出なくなるかもしれません」と言われていたのだそうです。
それを聞いた彼は、「もし手術が成功したら、きっと歌う夢を実現させたい」と思っていたそうです。
 当然といえば当然のことですが、その場でレコード会社からゴーサインが出て、メ
ジャーデビューが決定しました。
 応援にきていた奥さんと子供たちが、声も出ないほど嬉し涙に暮れて祝福していたのが、
またとても印象的で、私はさらにティッシュを引っ張り出していました。

 たぶん、そう遠くない時期にCDも発売されるようですが、日テレの携帯サイトの
歌スタのコーナーから、百円で画像つきの着うたをダウンすることができます。
 1コーラスの途中から一部切り出した物ではありますが、その良さはきっと伝わるはずです。
私も、FOMAラクラクフォン3で確認済みですので、視覚障害者の方もぜひ聞いてみてください。


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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



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指先から消えていく……

 ときどき、悪夢を見ます。朗読劇の本番、稽古もしてない点字台本を渡され、
ほぼ初見で読まなければならない状況に追い込まれるのに、
そのうえ、読もうとする片っ端から指先の点字が薄くなって消えていくという夢です。
もどかしさと恥ずかしさと恐怖に、汗びっしょりで目覚めたりするのです。

 いきなり変な話から始めてしまいましたが、現実の世界でも、
ほんのちょっとそれに似た現象が起きています。
 それは、駅構内などの点字表示です。
もう十年以上前から、駅構内の階段の手すりに、
行き先を示す点字表示が付けられるようになりました。
これは本当に画期的なことで、時間に余裕を持って行動していれば、
一人歩きの全盲者でも、自力で行き先を見定めて行動できるようになったのです。
たまに邪魔にされたり、何をしているのかに気づかない人に「大丈夫ですか」と
声をかけられたりすることもありますが、
それでも自力で行き先を知ることの嬉しさの前には、
たいした問題には思えない程度の障害です。
 例えば、こんな風に書いてあります。
『左 一番線白金高輪方面、 右 二番線西高島平方面』
 ところが、この重宝している点字表示が、むりやりつぶされていたり、
剥がされていたりすることもあるのです。
心無い人や、もしかすると何も知らない子供たちの仕業かもしれません。
こういう消された表示を触る度に、私は困惑と小さな怒りを感じると共に、
最初に書いた悪夢のことを思い出してしまいます。
 思うにこれは、半分以上は悪意ではなく、
点字表示の存在や用途について知られていないが故の、
ほんの出来心的ないたずらなのではないでしょうか。
誘導ブロックについては、かなり一般的に浸透してきているので、
以前よりは少し障害物(ブロック上に立っている人も含めて)が
減ってきているような気がするのですが、
点字表示についてはほとんど知らされていないように思えます。
ここはまた一つ、ACか何かのCMなどで取り上げて
「これが私たちの行き先を示してくれる点字です」などというコメントが流れると良いのですが。

 点字表示が剥がされていることに関して、もう一つ困ることがあります。
それは、金属製の点字表示のプレートが端からめくり上げられ、
尖った角で指を怪我してしまうことがあるということです。
というか、私自身が経験してしまったのですが。
これは、出来心で済まされてはたまらないことです。
何しろ、そういうところを触るときには、意識的に点字を読む指を使っているのですから、
その指先を負傷してしまっては、日常生活で必要な点字を読むこともできなくなってしまうのです。

 また、これは本当に公共物破損でもあるので明らかに悪いことなのですが、
先日東京メトロ東西線の高田馬場駅に設置されている大変優れものの触知案内板に
付いている音声案内を聞く押しボタンが、一つを除いて全て毟り取られ、
残った一つも壊れてしまっているという物に出会ってしまいました。
 あまりの酷さに、しばし声も無く立ち尽くしてしまった私でした。

 そんな中、来週の火曜日訪問する予定にしている杉並区の小学校では、
4年生の子供たちが、学校の中のバリアフリーやユニバーサルデザインを
考えようということで、教室の番号や階段の手すりの点字表示を作ったりする試みを
しようとしているそうです。以前この学校に行った時にも、
去年の4年生が張ったという点字シールがところどころにあって、
ちょっと感動してしまいました。
 今度訪問するのも、そういう配慮をする際に、どんなことに注意したら良いか、
必要な情報、不必要な情報などに関するアドバイスがほしいということで
呼ばれることになったのです。
 この試みは、視覚障害者だけでなく、聴覚障害者や車椅子のユーザーも招いての企画で、
いろんな立場から、誰でも暮らしやすい環境を考えていこうとしているそうです。

 こういう学校がもっと増えて、子供たちの意識が変わっていけば、
さらにみんなが住みやすい町ができていくでしょう。
 こうやって思いやりの心を養う一方で、
さまざまなバリアフリー的な配慮を多くの人に知ってもらう報道がなされていけば、
福祉もさらに一歩前進するのではないかと思うのですが……。


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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



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by amedia  at 16:04  | Permalink

「努力」と「工夫」そして「頑張れ」の声援

 私は根性無しです。すぐにへこたれてしまいます。
きっと、視力や聴力、握力などの能力と同じように、
「努力」にも個々の数値があるんじゃないかと、常々思ってきました。
 義務感に囚われる好きじゃないことや最初から苦しそうなことに対しては、
「努力」しなければと自分を叱咤することになり、さらに苦しさを募らせてしまいます。
 しかし、好きなことに対してなら、この「努力」という重い言葉が「工夫」という
わくわくする前向きな言葉に取って代わるような気がします。

 中学生の頃、私にとっての白杖単独歩行は、「努力」を要する物でした。
今では廃校になってしまった地方の小さな盲学校の小学部にいた私は、
きちんとした歩行訓練も受けないまま、筑波大学附属盲学校の中学部に進んだのです。
そんなわけで、周りの友人たちに比べて、どうしても一人歩きが下手だったし、
怖くもありました。
 ところが、高等部に上がってから、急に人一倍一人歩きする全盲生になってしまいました。
(この話はあちらこちらでしているので、ミミタコになっている方もおられるかもしれませんが、
ご勘弁を。)それは、“THE ALFEE”のファンになり、
コンサートやライブイベントに自力でいけるようにしたかったからなのです。
また、行った先で、同じALFEEファンの友達ができ、
彼女たちと一緒におしゃべりを楽しんだりしたいという熱い想いにも駆り立てられ、
単独歩行に対する「努力」は、楽しみに近づくための「工夫」へと変わっていったのです。
 その後も、ロックキーボード教室やポピュラーヴォーカル教室への通学、
宝塚観劇にはまるなど、次から次へと興味深い要素が出てきて、
現在の私=一人歩きの自由を謳歌している私が出来上がってきたわけです。
 その間、さらに面白い発見もありました。
やはり、一人で歩いていると、嫌な思いも多々あるのですが、
それ以上に心温まるふれあいを経験する機会が多いのです。
慣れていない駅などで途方に暮れていると、
「お手伝いしましょうか?」とか「ご一緒しましょうか?」と声をかけていただけることがあって、
その優しさに胸がキュッと鳴るような喜びを感じるのです。
さらに、そうやって出会った人の中には、とても話が合う人もいたりして、
たった数分の中でとても心が弾んだり、
それがきっかけでお友達付き合いするようになったりするケースもあるのです。
 また、一人で入ったお店の店員さんも、
 最初は視覚障害の私への対応に戸惑ったりされるのですが、
にこやかに「こうしてほしい」とお願いするうちに、
とても親切な店員さんに変身していったりするのです。
「めんどうだ」とか「じゃまだ」とか思うような人は無理かもしれませんが、
そういう人は案外少なくて、「どうしたら良いかわからない」という人が
多いように思われます。そういう人たちが親切な店員さんに
変身していってくださるようなのです。(もちろん、お忙しそうなときには、
こちらも思いやりを持って、要求は控えめにすべきですが。)
 そして知りました。視覚障害者である私が街を歩けば歩くほど、
その街は親切で素敵な街になっていくらしいと。
 また、義務でなんとかしなければならない「努力」も、
その中に興味を持てる要素を見出し「工夫」するという感覚にすり替えていくことができれば、
楽になることが多いに違いないとも思うようになりました。

 物事をポジティブに考えて行くのって、本当に素敵なことです。
ちょっと視点を変えますが、最近は「頑張れ」っていう声援も
「既に頑張ってるのにプレッシャーをかけるだけの無責任な言葉だ」と
捕らえる向きも多いようですが、「頑張れ」の言葉を発した人の心を「無責任」と捕らえずに
「優しさから出た言葉だ」と捕らえてみると、ストレッチ運動で力を抜いたときみたいに、
それまで頑張ってきた以上に実力を発揮できたりもすると思います。

 というわけで、根性無しのへこたれ屋でも、今日も「めーたん、頑張って」と仲間の
優しい声援を嬉しく受け止めつつ、自分なりにいろいろ「工夫」して、
芝居の稽古に励む美月なのです。


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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



ダイエットしなくてもスリムに見える~下着ファッション


by amedia  at 15:56  | Permalink