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春うらら
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福祉コラム「車いすユーザーの目線で考えること」を読んで

http://tinyurl.com/58j7yz

ここに書き込むのは、久しぶりではないかと思います。

 さて、前前前回の福祉コラムで、車椅子ユーザーの話題が出てましたが、
実は今車椅子ユーザーと住んでます。
彼女は、15年前に怪我をして、脊髄(せきずい)損傷になったわけです。
その彼女と、去年の夏にとあるパーティーで会いました。
最初はそんなつもりではなかったのですが、遊んだり話をしたいりするうちに、
だんだん惹かれあうようになったわけです。
そこで、彼女と歩いてみてわかったのは、
公共交通機関(例えば電車)を利用しようとするときには、
駅員の補助がぜったい必要だということ
ヘルパーさんにいろいろ用事をしてもらうとき
例えば家事などでは、動かされたものがどこにいったかわからなくなるので、
同じ位置に戻してもらうのが大耳だということ
(これは、視覚障害者も同じですね)
出かけるときには、車椅子トイレがあるかどうかチェックすること
駐車場のこともありますね。
それをちゃんとクリアすれば、どこでも行くことができます。
彼女は車を運転するので、ほんとに助かります。
わたしは車が大好きなので、外国者のディーラーなどにはよくいきますが、
彼女いわく、「わたし一人で行ったのでは、
あまり良い耐応ではないんだけど、あんたが行ってくれれば、
また違った見方をしてもらえるわ」とのこと。
どういうことかというと、所詮車椅子使用だから、
わがままを言われるようなイメージなんでしょう。
わたしは少々は車の知識があるので、そうすると、
障害者でもこれだけ車を愛してくれるのか、と
思ってもらえて、それがディーラーの側には嬉しいのだと思います。
わたしがいいたいのは、おたがい助け合えば、
価値が幾分が違ってもどうにかくらせるということです。
おわり


日本初の実用的視覚障害者向け印刷物読み上げソフト「ヨメール」

by amedia  at 15:52  | Permalink

マジでびっくり!-発想の転換

 昨日7月30日の東京は、前日までの猛暑を物凄い雷雨に断ち切られたからか、かなり過ごしやすいちょっと涼しい日となりました。しかし、私たち演劇結社ばっかりばっかりの稽古場としている東京都障害者福祉会館は、連日の猛暑のせいか、館内の冷房がダウンしてしまい、職員さんに「扇風機をご用意しましたけど、お水を沢山飲んで、脱水症状にならないようにしてくださいね」と心配される状態になっていました。 夕方6時頃会館に到着したとき、玄関前の外のスペースにはとても気持ちの良い風が吹き渡っていて、このとき私は思わず、「あら、ここなら良い風がくるし、中で朗読の稽古をするより、ここでやったほうが涼しくて良いじゃない?」とはしゃいでしまいました。すると、主催でもある私のパートナー氏(晴眼者)が、「…あのね、ここじゃ僕たちは暗くて字が読めないでしょ」と笑って言うのです。あぁー!そうか!!」私もその言葉で気づいて大笑い。私は、完全にマジボケで、自分が何の支障もなく点字原稿を読むことができるものだから、目で読む人の不自由さを失念していたのでした。 そのとき、パートナー氏の言った一言が、なかなか振るっていたのです。 「僕らは、点字使用者から見ると、いわば“明るさがないと読めない障害者”だね。」 ちなみに、「読めない」の「い」の字は下げないで、「障害者」の「しょう」の字と同じ高さでつなげて読んでみてくださいね。そうするとニュアンスが伝わるかな? なんだか長ったらしい名前の障害ですが、言い得て妙というか、「なるほどなぁ!」と感心してしまいました。もしも、この世界が真っ暗だったら、少なくとも視覚の障害においては、そのハンディキャップが逆転してしまうわけです。もちろん、人間は環境に順応する生き物ですから、その状態が長く続けばみんな視覚以外の感覚を研ぎ澄まして生活することにも慣れていき、やがては視覚のハンディそのものが消えて、一緒になっていくのでしょうけれど。
 そこで思い出したのが、下記の二つのイベントです。両方とも、現在は開催していないので、今後は逃してしまわないようにそれぞれの動向を見守っていきたいものです。
 一つは、「Dialog in the Dark(ダイアログ イン ザ ダーク)」です。
 これは、1989年にドイツのアンドレアス・ハイネッケさんという方が考案された、「真っ暗な中で、視覚以外の感覚を高めながら、楽しく過ごしてみよう」というような、芸術性溢れる体験型展覧会です。暗くて広い空間の中に、森や牧草地や街並みを作り、その中を3人一組になり、視覚障害者の案内人に導かれながら探検し、最後には、暗い中で、ジュースなど飲んで一息ついて終了、といった、約1時間ほどの
コースのようです。
 日本でも、1999年から毎年実施されているようで、非常に人気の高いイベントになっているそうです。 晴眼者の方に楽しんでいただくだけでなく、視覚障害者自身がアテンドスタッフとして活躍できることも魅力の一つとなっています。 現在、日本での主催者となっている「NPOダイアログ・イン・ザ・ダーク・ジャパン」では、このイベントの常設展示に向けて準備しておられるようですので、その動きにも注目していきたいと思います。
 もう少し詳しくお知りになりたい方は、下記HPをご参照ください。
http://www.dialoginthedark.com/index.html

 もう一つは、スイスの視覚障害者の牧師さんが考えたという「クラヤミ食堂」です。これは、元々は「暗い中で食事をしてもらい、視覚障害の疑似体験をしてもらうことにより、視覚障害者への理解を深め、雇用の拡大につなげたい」との想いから始まったイベントらしいのですが、日本では「こどもごころ製作所」というところが、昨年から、体験型イベントとして、ときおり行なっているようです。主に、東京都港区赤坂にある「テーブルスタジオ タキトー」というところで行なわれているようですが、残念ながら、夏休み体験イベントが、ちょうどつい最近終わってしまったばかりのようで、次の開催予定が分かりません。
 こちらは、体験した人が身近にいないので詳しいことは分かりませんが、変な物を食べさせる「闇鍋」とは違い、ちゃんとしたフルコースメニューを、「これはなんだろうね」と参加者同士がわいわい語り合いながら味わっていくという、これまた楽しそうなイベントになっているようです。フルコースですので、それなりのお値段のようですが、機会と予算の都合が合えば、私も晴眼者の友人と参加してみたいなと思っ
ています。
 こちらの企画は、以下の二つのHPを参考になさってみてください。

http://www.kodomogokoro.jp/wsarchive/cat33/
http://www.sowxp.co.jp/kurayami

 以上、今回は“明るさがないと読めない障害者”という名言(?)から思い出した
二つの体験型イベントをご紹介してみました。

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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

町で出会ったら気軽に声をかけましょう!目の不自由な方への声かけカード

by amedia  at 15:42  | Permalink

障害者と親戚付き合い

 今朝、実家から連絡があり、本誌247号で紹介した百歳の祖母の
具合があまり良くないと知らされました。
とても元気で食欲も旺盛だという話をしていたのがつい2ヶ月前だったのに、
この暑さがこたえたらしく、入院騒ぎにまでなっているということなのです。

 そして、ああ、また母から言われてしまいました。
 「あんたが会いに行ったって、先方(祖母と暮らしている叔父家族)に
迷惑かけちゃうから、パソコンでお手紙書いてお見舞い替わりにしなさい。」
 普通のときなら、そんなことは言わないのですが、
弱っている家族を看なければならない状態では、目の見えない私が行くと、
さらに面倒を見なくてはならない存在が増えてしまうからということなのです。
 理屈としては、よーく分ります。けれど、介護の手伝いすらできない、
というか当てにされず、あまつさえ邪魔になってしまうというのは、
なんとも情けない話です。

 同じ視覚障害者の人でも、同居する家族内に介護を必要とする
病人がいる場合は、そうとう訓練や工夫をなさってのことではあるのでしょうが、
自力でなんとかしておられるケースを多く見受けます。
 ただし、恐らくそういう方でも、他所のお宅での介護は、
なかなか引き受けることはできないでしょうし、
任せてもらうことなど考えられないことなのではないでしょうか。

 これは、介護の話や他所のお手伝いに限ったことではありません。
 私の父は8人兄弟の長男だったので、実家のお盆やお正月や法事などには、
叔父・叔母・いとこなどがわんさと押し寄せて、家中人だらけになります。
 こうなると、いつもすいすい動き回れる家の中でも、人を避けたり、
特別に出されたテーブルなどにつまずかないように気をつけたりしながら、
おたおた、おたおた行動することになります。
 台所を手伝おうと思っても、母以外に何人もの叔母がさっさか立ち働いていて、
入る隙がないどころか、うっかり踏み込もうものなら
完全に邪魔することになってしまいます。
 それでも、小さい頃なら、隅の部屋に逃げ込んで、
そこに入ってきてくれる従姉妹(いとこ)たちと、
着せ替え人形などを作って遊んだりして、
格好も付いたし実際楽しく過ごすこともできていました。
 でも、大人になってみれば、今度はテーブルの片隅に座り、
にこにこしてることしかできないのです。
 そんな私は、きっと親戚の人たちの目には、
「何もできない可哀想な人」と映っていることでしょう。
まぁ、ピアノが弾ける歌のお姉さん程度には評価してもらってる
かもしれないのですが。

 そして、あるとき気づいたのですが、私は祖父母の葬儀には出席したものの、
それ以外の親類の冠婚葬祭のときには、いつもお留守番だったのです。
 それに気づいたときには愕然としましたが、紛れもない事実です。
 以前、色素の薄い病気で弱視になったという友人から、
「私は見た目ですぐ障害が分っちゃうから、
家柄のいいお医者さんのところに嫁いだ姉の結婚式には出席させて
もらえなかったし、その家の人たちが訪問してこられたときには、
奥の部屋に押し込められるんだよ」と話しているのを聞いて、
大変憤慨したことがあったのですが、気づいてみれば、
私も似たり寄ったりな経験をしてきていたのでした。

 親戚付き合い。それは、障害者にとって、
ある意味永遠の課題かもしれません。
 もちろん、理解のある親戚に恵まれている方も多くおられるでしょうが、
私の周りではわりと私と同じような経験をしている人が多く見受けられます。
 幸い、今はこうしてパソコンを使えば、
自力でできることがいろいろ増えているので、
「ただ何もできないわけではない」ということを知ってもらう
機会も与えられているわけです。これからも、自分ができることとして、
いろいろクリエイティブなことにチャレンジしたりしながら、
いつか親戚の目にも触れて、少しは認めてもらえるようになると良いと思っています。
 ということで、まずは、「退院させてくれねがったら、
病室から飛び降りっから!」とだだをこねているらしいおばあちゃんに、
パソコンを使って、お見舞いのお手紙を、
心を込めて書いてみようと思っているところです。


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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



デイジーもあり~視覚障害者のスキルアップに役立つ各種録音図書

by amedia  at 15:30  | Permalink

十人十色-偉能力者でもダメ人間でもないんです

 一口に「視覚障害者」と言ってしまうと、
どんなイメージが湧いてくるのでしょう。
 ある人々は、「座頭市(ざとういち)」みたいな偉能力者を想像し、
「目が不自由な分、他の感覚が鋭くなっているから、
なんでもできちゃうんですね!」などと買い被ってしまう。
またある人々は、自分が目を閉じて何かをすることを想像し、
「視力がない=何もできない」などと決め付けてしまう。
 いずれにせよ、両極端なイメージが多く見受けられるような気がします。
 本当は、「目が見えない」ということ以外では、
一般の健常者と同じように、それぞれの性格、
それぞれの能力は千差万別なのです。
だから、金子美鈴さんの詩の一説「みんな違ってみんないい」の
フレーズが大好きです。
 こういう話は、ずーっと前にも書いたことがあったと思いますが、
改めて書いてみたくなりました。

 そんな気持ちにさせてくれたのは、阿川佐和子さんの
 「婚約の後で」という小説を読んでいるからなのです。
 まだ読了してはいないので、この先どうなるかはわからないのですが、
この小説の途中に、全盲の素敵な女性が出てくるのです。
いや、そういう人が登場してくるとも知らずに読み始めたので、本当に驚きました。
 小説や映画、戯曲などの作品で描かれる視覚障害者は、
最初に述べたような両極に描かれることが多いのですが、
阿川さんの書かれたこの小説は、
本当に等身大の視覚障害女性が良い感じのポジションで扱われているのです。
 ネタバレにならないように書くのは難しいのでかいつまんでの説明になりますが、
年齢30歳くらいで、翻訳の仕事をしているこの女性が語ることの中に、
「同じ視覚障害の中でも、耳の感覚に優れている人や、
空気圧を感じて広さを認識できる人もいる」というように、
視覚を補う能力の中でも、人によって得意不得意があることが出てくるのです。
阿川先生、さすがです!!
 予断ですが、音声化ソフトとパソコン、スキャナ、点字ディスプレイ、
読み上げ機能のある携帯電話などを使っている彼女の生活の細部まで、
とてもよく調べて書かれていて、
さらに作者阿川先生の見識の高さに驚かされました。

 実は、私も、最近友人に話していたところだったのです。
 「私は、耳はそこそこ良いし、触覚もかなり鋭いほうだけど、
平行感覚とか水平感覚が鈍いのよ。
だから、スプーンですくった液体は口に運ぶ間にこぼれるし、
うっかりするとお椀やカップの中身もいつの間にかこぼれてたりするの。
でも、そういうことが得意な全盲の人もいるし、
逆に聞こえてるはずなのにどうして音の識別があまりできないんだろうとか、
どうして触地図がちゃんと認識できないんだろうと思うような人もいるんだよ。」
 そんな話をした相手から知らされた面白いこともありました。
なんと、私は、一般の人たちより、関節技がきめられにくいらしいのです。(笑)
 要するに、その友人が私の手なり腕なりに関節技をかけてくると、
私は瞬時にというか、反射的にそれを回避するのですが、
その反応が異常に早いらしいのです。
いわく「皮膚感覚で察知する」のだそうです。
「柔道やったら?」の言葉を笑って交わす昨今です。

 話が少し(だいぶ?)横に反れましたが、とにかく、障害の有無に関わらず、
十人十色ですから、人に対するイメージは、柔軟な気持ちで描いていけたら、
世の中の誤解もかなり減るのではないかと思っているのです。

 最後になりましたが、ないーぶネットで調べた情報です。
 話を引用した阿川佐和子さんの「婚約の後で」ですが、
点字データが着手になっています。
また、カセットの図書・デイジー図書は完成になっている物が多いようでした。
 変な書き方ですが、点訳も音訳も「あれ?」と思うほど
重複製作されているようなので、こんな紹介になってしまいました。
ちょっと労力がもったいないですね。
 視覚障害者のお話がメインではないのですが、ご興味を持たれましたら、
ぜひ読んでみてください。
 七人の女性の立場から、一つのお話を紡いでいく中の
 「そら」という女性のお話です。

 なお、原本の情報は以下の通りです。

阿川佐和子著「婚約のあとで」
ISBN:978-4-10-465503-8
発売日:2008/02/29


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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



点字、インターネットなどの視覚障害者の情報文化や偉大な先駆者の業績を紹介~盲人の歴史

by amedia  at 17:31  | Permalink

「同病相哀れむ」のではないけれど

 先日、開通したばかりの副都心線から千代田線に乗り換えるべく パートナーと歩いていると、エレベータのところで彼が 「ちょっと待ってて」と言って数歩離れ、 通りがかりの誰かに「エレベータはこちらですよ」と声をかけました。 声をかけた相手は、白杖を持った人でした。 その人を誘導してきた彼は「一緒に行きますか? もう一人白杖を持ってる人もいるので、連結してください」と声をかけました。 私もすぐそれと悟ったので、「良かったらつかまってください」と、 件の人物に声をかけました。  「あ、どうも」と答えたその人は、でも私にはつかまることなく エレベータに乗り降りしました。「どちらへ?」と聞くと 「代々木上原です」と答えます。私たちも同じほうだと伝えましたが、 「後は大丈夫です」と言いながらふらふらと去っていきます。 何か、「旅の道連れ」のような出会いで、これから乗る千代田線、 小田急線での楽しいおしゃべりの予感を持っていた私は 拍子抜けしてしまったのですが、それはかってな思い過ごしだし、 一人で歩きたいこともあるだろうしと、自分自身を納得させました。  ところが、その人は、少し見当違いの方向に歩きかけつつ、 「ええと、トイレはこっちのほうに?」などと口走っています。 私のパートナーが、「あ、良かったらお連れしますよ」と言うと、 「いや、千代田線に」と言う。私たちはまたもや狐につままれたような気分で、 ビュンビュン杖を振りつつ千代田線への通路を歩いていくその人を見ていました。  「視覚障害者だからと言って、必ずしも同じ視覚障害の人と交わりたいとは 限らない」と、私も日ごろそう思わなくもありません。 でも、私の場合はちょっと違います。「同じ視覚障害の人と」ではなく 「同じ視覚障害の人だけと」と言った方が適切なようです。  だから、いわゆる「視覚障害者協会」的な団体には所属していません。 かと言って、まったく視覚障害者がいない団体にだけ所属したいとも思いません。  それは、「見える人も見えない人も混在して、共に活動してこその社会」だと 思っているからです。  私が今まで関わってきたグループは、全てそういったグループです。  まずは、盲学校を卒業した直後から関わった点訳サークル「点字あゆみの会」。 ここでは、点字図書を作るに際して、視覚障害会員による触読校正を基本としていて、 運営も全て視覚障害者と晴眼者が混在して行なっていました。 最初にそんな刷り込みがあったからかもしれませんが、 それ以降関わってきたグループは、どれもこれもそういう感じでした。  朗読グループ「ねこのめ」は、会員内で「聞く人、読む人」という区別は あったけれど、それは「視覚障害者、晴眼者」とイコールではなく、 視覚障害者が点字で書かれた物を読んで、 それを見える人が聞くというパターンもありました。 また、やっぱり運営も一緒にやってました。  トークパフォーマンスグループ「こうばこの会」も、 「視覚障害者が語る人で、晴眼者が裏で支える」的なものではなく、 舞台に立つほうも、裏方も、それぞれ、見える人、見えない人が活躍しているのです。  現在所属している、「演劇結社ばっかりばっかり」、 「バリアフリー映画鑑賞推進団体CityLights」、 私が代表を務める「バリアフリー読書さーくるYAクラブ」、 いずれも、晴・盲混在して活動・活躍しています。  それでもやっぱり、人という物は、自分の趣味・特技だけでなく、 境遇の共通点にもふと親近感を覚えたりするのではないでしょうか。  その境遇の共通点だけで傷をなめあっていては、 今一つ発展性に欠けると思うものの、親しみを感じあうことはあると思うのです。  ふと思い立って、mixiの「友人を探す」で「視覚障害」のキーワードだけで 検索してみたら、601人ヒットしました。 その中には、視覚障害当事者だけでなく、 点訳・音訳・ガイドヘルプに関わっている人も多いでしょうけれど、 なんだかみんなと知り合いたくなってしまうような嬉しさを、 ちょっとだけ感じてしまいました。  視覚障害者の中には、「同じ視覚障害者同士だからこそ分かり合えるのだ」と 信じ切ている人、「主に晴眼者だけと出会いたい」と思っている人など、 極端な人がいますが、もっともっとナチュラルに、 いろんな人を受け入れていける方が、きっと素敵だと思います。  明治神宮前駅で遭遇した人がどんな考えの人だったのかは、 もう知ることはできないけれど、晴・盲、他の障害の人とでも、 出会いのチャンスを大事にしていけると、 楽しく生きられるんじゃないかなと、余計なことを考えてしまいました。

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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)

スポーツ選手も愛用する健康グッズ~キネシオテープの使い方

by amedia  at 11:52  | Permalink

車いすユーザーの目線で考えること

 先日、既に何度かお知らせした立教大学ボランティアセンターと
シティライツの共催によるバリアフリー上映会「ツォツィ」の日に向けて、
同大学内で視覚障害者と車いすユーザーの誘導方に関する
レクチャーを行なう機会がありました。
 「ツォツィ」の音声ガイド作りのモニターとして関わってきた私も、
視覚障害者の誘導のサンプル(?)として参加していたのですが、
普段なかなか知ることのできない車いすユーザーの方の
生の声を伺うことができました。

 まず、一口に視覚障害者と言っても見え方見えなくなった時期、
置かれた環境などの様々な条件によって、千差万別であるのと同じに、
車いすユーザーも歩けなくなった時期、歩けない要因、
どこまで自力で動けるのか、使用しているのがどんな車いす
なのかなどの条件でいろいろなパターンの方がいらっしゃるのだと、
改めて教わりました。

 印象に残ったことは、こんな感じです。
 1. 遠回りでも段差の少ない、ある程度道幅のあるところ、
できればエレベーターのあるところなどを、
常に把握しておかなければならないこと、。
 2. 車いす用のトイレ(障害者用トイレの他、
多目的トイレ・多機能トイレ・だれでもトイレなども含む)の場所を、
予め頭に入れておかなければならない。
 3. 坂道では、上半身のコントロールができる力がない障害の場合、
後ろ向きで下りないと落っこちてしまう。
(落ちやすい場合には、シートベルトのような物で固定する)
4. 落車したら、手を貸してほしい。一人でむりな場合には、二人がかりでも、
とにかく両脇を抱えて、車椅子に乗せてほしい。
 5. 小さな段差や踏切の線路などはそのままでは通りにくいので、
前輪を浮かせて乗り越えるが、これも人によっては健常者の手を必要とする。
 6. 電動車いすは、途中で充電が切れてしまうと大変だが、
最近の機種は掃除機のコードのように電源コードが収納されていて、
引っ張り出すとどこのソケットでも充電できるようになっている。
また、機種によっては手動に切り替えられる者もある。
 7. でも、充電できるところも通れず、バッテリーも古くなっていたりすると、
お手上げ。重さも、普通の車いすより遥かに重たいので困る。
 等々です。

 その後、視覚障害者と車いすの人が一緒に街を歩くことが
可能なのではないかということで、大阪へ旅に行ったときの私の体験談をお話すると、
快く聞いてくださいました。
視覚障害である私が車いすの後ろにつかまらせてもらい、
前輪を上げる際など力を必要とする際に私の手をお貸しするということで、
協力し合いながら、他愛の無いおしゃべりを楽しむことができたという体験談でした。

 また、日ごろパートナーである男性と行動を共にしている私は、
男性にでも説明してもらえる障害者用トイレなどを使用することが多いことを
打ち明け、「それについてはどう思いますか?」と問いかけると、
「それはやむをえないことなので、かまわないと思います。」との
お返事をいただきました。
(もちろん、なるべく早く済ませるようにはしますが。(笑))

 さて、その集まりがあったからということではなく、
日ごろからそういうトイレを使っていて感じていたことがありますので、
最後に少しだけ書いてみます。
 ボタン式とかセンサー式のドアもありますが、
 まだまだ手動のところも多いのに、なぜあんなにドアが重たいのだろうということ。
また、手を洗う位置やペーパーの一が高過ぎると思うことや
石鹸の一が奥まり過ぎていて、車いすに乗ったままでは
届きにくいのではないかと思うことなどもしばしばです。
 また、どこもなんともなさそうな健常者が
使用していることの多さにも疑問を感じることも多々あります。
特に、タバコを吸った残り香がはっきりしていたりすると、
とても嫌な気持ちになります。
だから、「多目的」「だれでも」などの名前の付けかたにも、
少し疑問を感じてしまいます。
 そんなことを思ったりするのですが、
今度車いすユーザーさんとお話する機会があったら、
ぜひそんなことも聞いてみたいと思います。
 聞いてすぐにどうこうできることではないけれど、
まずは別種ではあっても障害者同士なのですから、
私たちが理解していることはとても大切なことだと思うわけです

 そういう意味で、車いすユーザーの方に限らず、いろいろな障害を持った人たち同
士で分かり合う機会がもっと増えると良いのにと思った次第です。


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(「週刊福祉情報」コラムニスト・美月めぐみ)



全国の三療治療院を網羅~鍼灸あん摩マッサージ治療院カタログ

by amedia  at 17:31  | Permalink